いかばかり恋路は遠きものなれば
年は行けども逢ふ夜なからん
- 歌の意味
-
恋の道はいったいどれほど遠いものだから、年は過ぎていくのに、逢う夜がないのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十二 恋歌二 727
詞書「百首歌奉りける時、恋の歌とて詠める」
百首歌を奉った時、恋の歌として詠んだ歌である。この百首歌は崇徳院に奉った久安百首である。恋路はどれほど遠いものだから、年は行くのに逢う夜がないのだろうか、と詠む。恋を道にたとえ、年月は過ぎていくのに、その道の果てにあるはずの逢瀬にはいつまでもたどり着けない嘆きを表している。
作者の「前参議教長」は藤原教長である。大納言藤原忠教の子で、参議に至った。崇徳院の近臣で、保元の乱の後に配流された。能書家としても知られ、久安百首の作者の一人である。
本巻の第七百二十一首は本歌と同じ初句「いかばかり」で始まる。「恋路」は第七百五十二首にも詠まれる。
初句「いかばかり」は、どれほど、の意である。本巻の第七百二十一首も同じ初句で始まる。
二句「恋路は遠き」の「恋路」は恋を道にたとえた語で、四句の「行け」と縁語になる。本巻の第七百五十二首の二句「恋路に迷ふ」と同じ語を用いる。
三句「ものなれば」は、ものなので、の意で、結句の「らん」の原因を示す。
四句「年は行けども」の「行け」は年が過ぎていく意で、二句の「路」の縁で道を行くことを響かせる。
結句「逢ふ夜なからん」の「らん」は原因推量の助動詞「らむ」で、逢う夜がないのだろうか、の意である。
こひぢ:恋を道にたとえた語
- 作者
-
藤原教長
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
錦木の千束に限りなかりせば なほ懲りずまに立てましものを
- 次の歌
-
なれて後つらからましに比ぶれば 無き名はことの数ならぬかな