恋しさは逢ふを限りと聞きしかど
さてしもいとど思ひ添ひけり
- 歌の意味
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恋しさは逢うまでが限りだと聞いていたけれど、逢ったら逢ったで、かえってますます思いが加わったことだ。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 800
詞書「百首歌奉りける時、恋の心を詠める」
百首歌を奉った時、恋の心を詠んだ歌で、この百首歌は崇徳院に奉った久安百首である。恋しさは逢うまでが限りと聞いていたが、逢ってからかえっていっそう思いが加わった、と詠む。逢えば恋しさは満たされて終わるものという世の言葉を、逢ってみればかえって思いが募ったと裏切られることで、逢った後の恋の深まりを表している。
作者の「前参議教長」は藤原教長である。大納言藤原忠教の子で、参議に至った。崇徳院の近臣で、保元の乱の後に配流された。能書家としても知られ、久安百首の作者の一人である。
本歌から第八百四首までの五首は、いずれも久安百首の恋の歌である。
初句「恋しさは」は、一首の主題を示す。
二句「逢ふを限りと」は、逢うまでが限りだと、の意で、逢えば恋しさは終わるという世の言葉を示す。
三句「聞きしかど」の「しか」は過去の助動詞「き」の已然形、「ど」は逆接の接続助詞で、聞いていたけれど、の意である。
四句「さてしもいとど」の「さて」は、そのようにして、逢ってみて、の意、「しも」は強意、「いとど」は、いっそう、ますます、の意である。
結句「思ひ添ひけり」の「添ふ」は加わる意、「けり」は気づきの詠嘆で、思いが加わったことだ、の意である。
おもひそふ:思いが加わる、いっそう募る
- 作者
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藤原教長
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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かねてより思ひしことぞ伏柴の こるばかりなるなげきせんとは
- 次の歌
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よそにしてもどきし人にいつしかと 袖の雫を問はるべきかな