恋ひ死なん身は惜しからず逢ふことに
代へんほどまでと思ふばかりぞ
- 歌の意味
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恋い死にする我が身は惜しくはない。ただ、あの人に逢うことと引き替えにできる時までは生きていたいと思うばかりだ。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 730
詞書「後三条内大臣家に歌合し侍りける時、恋歌とて詠める」
後三条内大臣の家で歌合を催した時、恋の歌として詠んだ歌である。恋い死にする身は惜しくない、ただ逢うことと引き替えにするまではと思うばかりだ、と詠む。命を惜しむのは自分のためではなく、せめて一度逢うことと引き替えにしたいからだという、命をかけた恋の思いを表している。
作者の「道因法師」は藤原清孝の子である。俗名は敦頼で、晩年まで和歌に深く執心したことで知られる。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句の「恋ひ死なん」は本巻の第七百二十二首と同じで、第七百五十九首、第七百六十二首も同じ初句で始まる。第七百二十五首が命に代えない逢瀬を願ったのに対し、本歌と第七百三十四首は命を逢瀬に代えようと詠み、同じ主題を逆の方向から扱っている。
初句「恋ひ死なん」の「ん」は推量の助動詞「む」の連体形で、恋い焦がれて死ぬであろう、の意である。本巻の第七百二十二首、第七百五十九首、第七百六十二首も同じ初句で始まる。
二句「身は惜しからず」は、我が身は惜しくない、の意である。ここで句切れとなる。
三句「逢ふことに」は、恋人に逢うことに、の意で、四句の「代へん」にかかる。
四句「代へんほどまでと」の「ん」は意志の助動詞「む」の連体形で、引き替えにするまでは、の意である。八音の字余りとなる。第七百二十五首の四句「命に代へぬ」とは逆に、命を逢瀬に代えようとする。
結句「思ふばかりぞ」の「ばかり」は限定の副助詞、「ぞ」は強意の係助詞で、ただそう思うばかりだ、の意である。
かふ:引き替えにする
- 作者
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道因
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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あひ見むと思ひな寄りそ白波の たちけん名だに惜しき汀を
- 次の歌
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今はさは逢ひ見むまでは難くとも 命とならむ言の葉もがな