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麻手干す東乙女の萱筵
しきしのびても過ぐす頃かな

歌の意味
麻を干す東国の娘が敷く萱の筵のように、ひたすら思いを忍びながら過ごしているこの頃であることだ。
鑑賞
巻第十三 恋歌三 789

詞書は前の歌に続き「堀河院御時、百首歌奉りける時、恋の心を詠める」
 前歌と同じく堀河百首の恋の歌である。麻を干す東国の娘の萱の筵ではないが、しきりに思いを忍んで過ごすこの頃であることだ、と詠む。上の句で東国の素朴な娘が麻を干し、萱の筵を敷く鄙びた景を描き、筵を「敷き」から「しきしのぶ」へと転じて、人知れず恋を忍ぶ日々を表している。
 作者の「源俊頼朝臣」は大納言源経信の子である。堀河院歌壇の中心として活躍し、白河院の命で金葉和歌集を撰んだ。家集に「散木奇歌集」がある。
 堀河百首の恋の歌三首の結びである。前々歌のおしどり、前歌の苧環、本歌の萱筵と、身近な物や景に恋を寄せる趣向が続いている。

 初句「麻手干す」の「麻手」は麻のことで、麻を干す、の意である。東国の素朴な暮らしを描く。
 二句「東乙女の」の「東乙女」は東国の娘である。
 三句「萱筵」は萱で編んだ筵で、筵を「敷く」ことから四句の「しき」を導く。初句からここまでが序詞である。
 四句「しきしのびても」は、筵を「敷き」の意に、「しきりに忍ぶ」意を掛ける。しきりに思いを忍んで、の意である。
 結句「過ぐす頃かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、過ごしているこの頃であることだ、の意である。

あさて:麻
あづまをとめ:東国の娘
かやむしろ:萱で編んだ筵
しきしのぶ:筵を「敷き」の意に、しきりに思いを忍ぶ意を掛ける
作者
源俊頼
出典
千載和歌集
前の歌
恋をのみしづのをだまきくるしきは 逢はで年経る思ひなりけり
次の歌
世とともに行く方もなき心かな 恋は道なきものにぞありける