人づてはさしもやはとも思ふらむ
見せばや君になれる姿を
- 歌の意味
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人づてに聞くだけでは、それほどまでのことがあろうかと、あなたは思っているのだろう。見せたいものだ、あなたのためにすっかり変わり果てた私の姿を。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 861
詞書「百首歌詠みける時、恋歌とて詠める」
百首歌を詠んだ時、恋の歌として詠んだ歌である。人づてではそれほどのことがあろうかと思っているのだろう、見せたいものだ、あなたのために変わり果てた姿を、と詠む。恋のためにやつれ果てていることを人づてに伝え聞いても、相手は本気にしないだろうと思い、いっそ直接その姿を見せたいと願う心を表している。
作者の「顕昭法師」は六条藤家の藤原顕輔の猶子となった歌僧である。博識の歌学者として知られ、『袖中抄』などの歌学書を著した。
本巻の第八百七十一首、第八百八十六首は初句を「見せばやな」で始め、本歌の四句「見せばや」と同じく、恋の苦しみを相手に見せたいという願いを詠んでいる。また第八百七十八首も、恋によって「姿」の変わることを詠んでいる。
初句「人づては」は人を介して伝え聞くのでは、の意である。
二句「さしもやはとも」の「さしも」はそれほどまでに、の意で、「やは」は反語の係助詞である。それほどまでのことがあろうか、と疑う相手の思いを表す。
三句「思ふらむ」の「らむ」は現在推量の助動詞で、相手は思っているのだろう、の意である。ここで句切れとなる。
四句「見せばや君に」の「ばや」は願望の終助詞で、見せたいものだ、の意である。ここで再び切れ、結句と倒置の関係にある。本巻の第八百七十一首、第八百八十六首の初句「見せばやな」と同じく、見せたいという願いを詠む。
結句「なれる姿を」の「なれる」は「成る」の已然形に存続の助動詞「り」の連体形が付いたもので、変わり果ててしまった姿を、の意である。本巻の第八百七十八首の「姿の変はる」と通じる。
ひとづて:人を介して伝えること
- 作者
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顕昭
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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逢ふことはいなさ細江のみをつくし 深きしるしもなき世なりけり
- 次の歌
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あさましやさのみはいかにしなのなる 木曽路の橋のかけわたるらん