逢坂の名を忘れにし仲なれど
せきやられぬは涙なりけり
- 歌の意味
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逢坂という「逢う」の名などすっかり忘れてしまった二人の仲だけれど、逢坂の関でもせきとめることのできないのは、私の涙であったのだ。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 872
詞書は前の歌に続き「寄源氏物語恋といへる心を詠める」
前歌と同じく「源氏物語に寄する恋」の題で詠んだ歌である。逢坂の名を忘れてしまった仲であるけれど、せきとめることのできないのは涙であった、と詠む。逢うことの絶えた二人の仲を、「逢ふ」の名を持つ逢坂を忘れたと言い表し、その逢坂の「関」と涙を「せく」意とを掛けて、もう逢うことはないとわかっていても涙だけはとどめられない心を表している。『源氏物語』関屋の巻で、光源氏と空蝉が逢坂の関で行き合う場面を踏まえると考えられる。
作者は「よみ人しらず」とされている。
前歌の第八百七十一首と同じ「寄源氏物語恋」の題の歌である。結句「涙なりけり」は本巻の第八百四十九首、第八百六十八首、第八百九十首と共通し、とりわけ第八百六十八首は四句を「せきあへぬものは」とし、せきとめられない涙を詠む点で本歌とよく似ている。
初句「逢坂の」の「逢坂」は山城国と近江国の境にある逢坂山で、関が置かれた。その名に「逢ふ」の意が込められている。
二句「名を忘れにし」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、逢うという名を忘れてしまった、の意である。逢うことが絶えたことを表す。
三句「仲なれど」の「仲」は男女の仲のことで、「ど」は逆接の接続助詞である。
四句「せきやられぬは」の「せき」は、逢坂の「関」と、涙を「せく」すなわちせきとめる意とを掛ける。「やる」は…しきる意で、「れ」は可能の助動詞「る」の未然形、「ぬ」は打消の助動詞である。せきとめきれないのは、の意となる。本巻の第八百六十八首の四句「せきあへぬものは」と通じる。
結句「涙なりけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、それは涙であったのだ、の意である。本巻の第八百四十九首、第八百六十八首、第八百九十首と同じ結句である。
あふさか:山城国と近江国の境にある逢坂山で、関が置かれた
せく:逢坂の「関」と、涙を「せく」すなわちせきとめる意とを掛ける
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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千載和歌集
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見せばやな露のゆかりの玉かづら 心にかけて忍ぶ気色を
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月待つと人には言ひてながむれば 慰めがたき夕暮の空