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逢ふことは身を変へてとも待つべきを
世々を隔てんほどぞ悲しき

歌の意味
逢うことは、たとえ生まれ変わってでも待つべきものではあるが、幾世も隔てることになるその間の長さが悲しいことだ。
鑑賞
巻第十四 恋歌四 897

詞書「摂政、右大臣の時、家の歌合に恋の心を詠める」
 摂政藤原兼実が右大臣であった時、その家の歌合で恋の心を詠んだ歌である。逢うことは身を変えてでも待つべきだが、世々を隔てるその間が悲しい、と詠む。この世で逢うことがかなわないのなら、生まれ変わった来世でも逢える時を待つべきであると覚悟しながら、それまでに幾世も隔たる時の長さを思って嘆いている。来世までも見据えた、仏教的な時間の感覚の中に恋を置いた一首である。
 作者の「皇太后宮大夫俊成」は権中納言藤原俊忠の子である。皇太后宮大夫を務め、のちに出家して釈阿と号した。後白河院の命を受けて本集を撰んだ。詞書の「摂政」は九条兼実である。
 次歌の第八百九十八首も同じ歌合の恋の歌で、二首が並ぶ。本歌が来世まで待つことを詠むのに対し、次歌は夢での逢瀬を頼みに日暮れを待つことを詠み、同じ「待つ」心を世々の長さと一日の長さとで詠み分けている。

 初句「逢ふことは」は逢うことは、の意で、「は」が主題を示す。
 二句「身を変へてとも」の「身を変ふ」は生まれ変わる意で、「とも」は逆接の仮定である。たとえ生まれ変わってでも、の意となる。
 三句「待つべきを」の「べき」は当然の助動詞「べし」の連体形、「を」は逆接の接続助詞で、待つべきであるのに、の意である。次歌の第八百九十八首の結句「待たるる」と同じく「待つ」を詠む。
 四句「世々を隔てん」の「世々」は前世、現世、来世と続く幾つもの世で、「ん」は推量の助動詞である。幾世も隔たるであろう、の意となる。
 結句「ほどぞ悲しき」の「ほど」は時間の長さ、間のことで、「ぞ」は強意の係助詞である。「悲しき」と連体形で結ぶ。

みをかふ:生まれ変わる
よよ:前世、現世、来世と続く幾つもの世
作者
藤原俊成
出典
千載和歌集
前の歌
身の憂さを思ひ知らでややみなまし 逢ひ見ぬ先のつらさなりせば
次の歌
思ひ寝の夢に慰む恋なれば 逢はねど暮れの空ぞ待たるる