うたた寝にはかなく覚めし夢をだに
この世にまたは見でや止みなん
- 歌の意味
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うたた寝の間にはかなく覚めてしまった、あの夢でさえ、この世で再び見ることのないまま終わってしまうのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 904
詞書「題しらず」
うたた寝の中ではかなく覚めてしまった夢さえ、この世で再び見ることなく終わるのだろうか、と詠む。恋しい人に逢えたうたた寝の夢はすぐに覚めてしまうはかないものであったが、そのはかない夢でさえもう二度と見られないまま、この世を終えてしまうのではないかと嘆いている。現実の逢瀬はもとより、夢の逢瀬すらかなわない恋の絶望を詠んだ一首である。
作者の「相模」は源頼光の娘(養女とも)である。相模守大江公資の妻となったことからこの名で呼ばれ、のちに一条天皇の皇女脩子内親王に仕えた。小倉百人一首にも歌が採られている。
恋歌五の巻頭の一首である。巻末の第九百五十八首は和泉式部の「なきになしても訪はぬ君かな」で、訪れのない恋人を恨む歌である。巻頭の本歌が夢でさえ逢えない嘆きを詠み、巻末は現実にも訪れのない嘆きを詠んで、逢えない恋の嘆きによって恋歌の最終巻の始めと終わりが呼応している。また本巻の第九百二十五首、第九百五十一首も「この世」を詠む。
初句「うたた寝に」の「うたた寝」は寝床に入らずに思わずうとうとと寝ることである。古今和歌集の小野小町の歌「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」を思わせる詠み出しである。
二句「はかなく覚めし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、はかなく覚めてしまった、の意である。
三句「夢をだに」の「だに」は軽いものを挙げて重いものを類推させる副助詞で、夢でさえ、の意である。夢でさえ見られないのだから、現実の逢瀬はなおさらかなわない、という含みをもつ。
四句「この世にまたは」は、この世で再びは、の意で、生きているうちに、という限りを示す。本巻の第九百二十五首の四句「この世ばかりと」、第九百五十一首の四句「この世に人を」と「この世」の語を共有する。
結句「見でや止みなん」の「で」は打消しの接続助詞で、見ないで、の意である。「や」は疑問の係助詞、「なん」は完了の助動詞「ぬ」の未然形に推量の助動詞「む」の連体形が付いたもので、見ないまま終わってしまうのだろうか、の意となる。
うたたね:寝床に入らずにうとうとと寝ること
やむ:終わる、そのままになる
- 作者
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相模
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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死ぬとても心を分くるものならば 君に残してなほや恋ひまし
- 次の歌
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音を泣けば袖は朽ちても失せぬめり なほ憂きことぞ尽きせざりける