疑ひし命ばかりはありながら
契りし中の絶えぬべきかな
- 歌の意味
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生き長らえられるかと疑っていた私の命だけは、こうして残っているのに、将来を約束し合った二人の仲は、絶えてしまいそうなことだ。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 910
詞書「語らひける人の久しくおとづれざりければ、つかはしける」
親しく契りを交わしていた人が長く訪れなかったので、送った歌である。続くかと疑っていた命だけは生きながらえているのに、契りを交わした仲は絶えてしまいそうだ、と詠む。はかないと思っていた自分の命がまだ続いているのに対し、永遠と信じた二人の仲の方が先に絶えようとしているという皮肉な逆転を通して、相手の心変わりを嘆き、訪れを促している。
作者の「大弐三位」は藤原宣孝の娘で、名を賢子という。母は紫式部である。上東門院彰子に仕え、親仁親王、のちの後冷泉天皇の乳母となった。大宰大弐高階成章の妻となったことからこの名で呼ばれる。小倉百人一首にも歌が採られている。
本巻の第九百五十一首「しかばかり契りし中も変はりける」と「契りし中」の句を共有し、誓い合った仲の移ろいやすさを嘆く趣が通う。
初句「疑ひし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、生き長らえるかどうか疑っていた、の意である。
二句「命ばかりは」の「ばかり」は限定の副助詞で、命だけは、の意である。
三句「ありながら」の「ながら」は逆接の接続助詞で、あるのに、の意である。はかないはずの命が残っていることを示す。
四句「契りし中の」の「契り」は将来を約束すること、「中」は男女の仲である。本巻の第九百五十一首の二句「契りし中も」と同じ言い回しである。
結句「絶えぬべきかな」の「ぬ」は完了(強意)の助動詞、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形、「かな」は詠嘆の終助詞で、絶えてしまいそうなことだ、の意である。初句、二句の命の存続と対比して、仲の絶えることを際立たせる。
かたらふ:親しく交わる、男女が契りを交わす
おとづる:訪れる、便りをする
ちぎる:将来を約束する
- 作者
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大弐三位
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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ちはやぶる賀茂の社の神も聞け 君忘れずは我も忘れじ
- 次の歌
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狩人は咎めもやせん草しげみ あやしき鳥の跡の乱れを