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憂き人を偲ぶべしとは思ひきや
我が心さへなど変はるらん

歌の意味
つれない人を恋い慕うことになろうとは、思いもしなかった。あの人の心ばかりか、私の心までもが、どうして変わってしまうのだろう。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 918

詞書「百首歌たてまつりける時、恋の歌とて詠める」
 百首歌を奉った時に、恋の歌として詠んだものである。つれない人を慕うことになろうとは思いもしなかった、私の心までもがどうして変わるのだろう、と詠む。相手が心変わりしてつれなくなったのに、自分の心はそれを恨みきるどころか、かえって恋い慕う方へと変わっていくと、自分でも思いがけない心の動きに戸惑っている。相手の心変わりに対して、自分の心の変化を見つめた歌である。この百首歌は崇徳院に奉った久安百首である。
 作者の「待賢門院堀河」は神祇伯源顕仲の娘である。鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に仕え、女院の出家に従って出家した。久安百首の作者の一人で、小倉百人一首にも歌が採られている。
 次歌の第九百十九首は作者の妹の上西門院兵衛の歌で、同じ百首歌から姉妹の歌が並ぶ。本歌が「我が心さへ」と自分の心の変化を問い、次歌は「つらきは今の心のみかは」と前世からの因縁に思いを及ぼして、ともに心の移ろいを詠んでいる。

 初句「憂き人を」の「憂き人」はつれない人、つらい思いをさせる人をいう。
 二句「偲ぶべしとは」の「偲ぶ」は恋い慕う意、「べし」は当然、運命の助動詞で、恋い慕うことになろうとは、の意である。
 三句「思ひきや」の「き」は過去の助動詞、「や」は反語の係助詞で、思っただろうか、いや思いもしなかった、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「我が心さへ」の「さへ」は添加の副助詞で、相手の心ばかりか私の心までも、の意である。次歌の第九百十九首の四句、結句「今の心のみかは」と「心」の語で応じる。
 結句「など変はるらん」の「など」はどうして、の意、「らん」は原因を推量する現在推量の助動詞「らむ」で、どうして変わるのだろう、の意である。

うきひと:つれない人、つらい思いをさせる人
しのぶ:恋い慕う、思い慕う
作者
待賢門院堀河
出典
千載和歌集
前の歌
まことにや三年も待たで山城の ふしみの里に新枕する
次の歌
憂かりける世々の契りを思ふにも つらきは今の心のみかは