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朝夕にみるめをかづく海人だにも
うらみは絶えぬものとこそ聞け

歌の意味
朝に夕にみるめを潜って採る海人でさえも、浦を見ることが絶えないように、恨みは絶えないものだと聞いている。まして、逢う機会もない私の恨みは尽きることがない。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 943

詞書は前の歌に続き「百首歌召しける時、恋の歌とて詠ませ給うける」
 前の五首と同じ百首歌の恋の歌である。朝夕にみるめを潜って採る海人でさえ、うらみは絶えないものと聞く、と詠む。海藻の「海松布」に逢う機会の「見る目」を、浦を見る「浦見」に「恨み」を掛け、朝夕にみるめを手にする海人、すなわちいつも恋人に逢える人でさえ恨みは絶えないのだから、まして逢うこともかなわない自分の恨みは尽きるはずもないという思いを、言外にこめている。
 作者の「藤原清輔朝臣」は左京大夫藤原顕輔の子である。六条藤家の歌学者として知られ、「袋草紙」「奥義抄」などの歌学書を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
 本巻の第九百五十首の「うらみをぞする」と「うらみ」の語を共有し、ともに「浦」の縁で「恨み」を詠む。

 初句「朝夕に」は、朝に夕に、いつも、の意である。
 二句「みるめをかづく」の「みるめ」は、海藻の「海松布」と、恋人に逢う機会の意の「見る目」を掛ける。「かづく」は水に潜って採る意である。
 三句「海人だにも」の「海人」は海で漁をする人、「だに」は副助詞で、海人でさえも、の意である。いつも見る目のある海人を、恋人にいつも逢える人に重ねる。
 四句「うらみは絶えぬ」の「うらみ」は、海辺の「浦」を「見」る意と、「恨み」を掛ける。「海人」「浦」が縁語となる。本巻の第九百五十首の結句「うらみをぞする」と「うらみ」の語を共有する。
 結句「ものとこそ聞け」の「こそ」は強意の係助詞で、「聞け」の已然形で結ぶ。ものだと聞いている、の意である。

みるめ:海藻の海松布と、恋人に逢う機会の見る目を掛ける
かづく:水に潜って採る
うらみ:浦を見る意と、恨みを掛ける
あま:海で漁をする人
作者
藤原清輔
出典
千載和歌集
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しきしのぶ床だに堪へぬ涙にも 恋は朽ちせぬものにぞありける
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何せんにそら頼めとて恨みけん 思ひ絶えたる暮れもありけり