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ささめ刈る荒田の沢に立つ田民も
身のためにこそ袖は濡るらめ

歌の意味
ささめを刈る荒れた田の沢に立って働く民も、自分の暮らしのためにこそ、袖を濡らしているのだろう。私が袖を濡らすのは、つれない人のためであるのに。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 956

詞書「題しらず」
 ささめを刈る荒れ田の沢に立つ民も、身のためにこそ袖は濡れるのだろう、と詠む。沢に入って草を刈る農民が袖を濡らすのは、自分の暮らしのためであるが、自分が袖を濡らすのは自分のためではなく、つれない恋人を思う涙のためであると、言外に対比させて、報われない恋の涙を嘆いている。なお本文の結句は「袖はぬるらめ」とあり、読み仮名の行の「そてもぬるらめ」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
 作者の「源俊頼朝臣」は大納言源経信の子である。堀河院歌壇の中心として活躍し、白河院の命で金葉和歌集を撰んだ。家集に「散木奇歌集」がある。小倉百人一首にも歌が採られている。
 前歌の第九百五十五首と同じく、水辺で働く人々の濡れた衣や袖を持ち出し、自分の袖の濡れる理由と対比させる趣向の歌で、二首で一対をなしている。前歌は漁をする賤の麻衣を、本歌は沢で草を刈る田の民の袖を詠んでいる。

 初句「ささめ刈る」の「ささめ」は湿地に生える草の名で、刈って筵などに編んだ。
 二句「荒田の沢に」の「荒田」は荒れた田、「沢」は水の浅くたまった湿地をいう。
 三句「立つ田民も」の「田民」は田で働く民をいい、沢に立って働く農民のことである。前歌の第九百五十五首の四句「しをれし賤の」と、水辺で働く人を詠む点で対応する。
 四句「身のためにこそ」は、自分自身の暮らしのためにこそ、の意である。「こそ」は強意の係助詞で、結句の「らめ」と已然形で結ぶ。言外に、私が袖を濡らすのは自分のためではない、という対比をこめる。
 結句「袖は濡るらめ」の「らめ」は現在推量の助動詞「らむ」の已然形で、四句の「こそ」を受けて結ぶ。袖を濡らしているのだろう、の意である。前歌の結句「麻衣かは」と、濡れた衣を詠む点で応じる。

ささめ:湿地に生える草の名。刈って筵などに編んだ
あれた:荒れた田
たみ:田で働く民、農民
作者
源俊頼
出典
千載和歌集
前の歌
これを見よ六田の淀にさでさして しをれし賤の麻衣かは
次の歌
笹の葉に霰降る夜の寒けきに ひとりは寝なん物とやは思ふ