数へ知る人なかりせば奥山の
谷の松とや年を積ままし
- 歌の意味
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私の年を数えて知ってくれる人がいなかったならば、奥山の谷の松のように、誰にも知られず年を積み重ねていただけだっただろうか。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 959
詞書「上東門院より六十賀行ひ給ひける時、詠み侍りける」
上東門院彰子が父の道長のために六十の賀を催した時に詠んだ歌である。年を数えて知ってくれる人がいなかったならば、奥山の谷の松のように、人知れずただ年を重ねていただろうか、と詠む。長寿の象徴である松に我が身をなぞらえながら、賀を催してくれた娘への感謝を表している。栄華をきわめた人物でありながら、祝ってくれる人のあることを喜ぶ穏やかな歌である。
作者の「法成寺入道前太政大臣」は藤原道長である。藤原兼家の子で、娘の彰子、妍子、威子を次々に后とし、摂政、太政大臣にのぼって藤原氏の全盛を築いた。晩年に出家して法成寺を建立したことから、この呼称がある。
雑歌上の巻頭の一首である。長寿を祝う賀の歌で巻を始め、巻末の第千五十一首「行く年は波とともにや返るらん」と、年の移りゆきを詠む点で呼応している。
初句「数へ知る」は、年を数えて知る、の意で、六十の賀を催した彰子を念頭に置いている。
二句「人なかりせば」の「せ」は過去の助動詞「き」の未然形で、「ば」とともに事実に反する仮定を表し、もし人がいなかったならば、の意である。
三句「奥山の」は、人里離れた深い山の、の意で、人に知られない場所を表す。
四句「谷の松とや」は、谷に生える松として、の意である。松は長寿の象徴で、賀の歌にふさわしい景物である。「や」は疑問の係助詞で、結句の「まし」で結ぶ。
結句「年を積ままし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、年を重ねるだけだっただろうか、の意である。巻末の第千五十一首の初句「行く年は」と、年を詠む点で応じる。
が:長寿を祝う祝い
つむ:積み重ねる
- 作者
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藤原道長
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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恨むべき心ばかりはあるものを なきになしても訪はぬ君かな
- 次の歌
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笛竹のよ深き声ぞ聞こゆなる 岸の松風吹きや添ふらん