残りなくわがよ更けぬと思ふにも
傾く月に澄む心かな
- 歌の意味
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残りもなく我が身の齢も夜もすっかり更けてしまったと思うにつけても、西に傾く月に向かって、心が澄んでいくことだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 999
詞書「百首歌奉りける時、月の歌とて詠める」
百首歌を奉った時に、月の歌として詠んだ歌である。残りもなくわが身の夜が更けてしまったと思うにつけても、傾く月に心が澄むことだ、と詠む。夜更けの月と自分の老いを重ね合わせながらも、嘆くのではなく、西に傾く月を見て心が澄んでいくと詠んでいる。西に沈む月に極楽往生を願う心を重ねているとも読める。
作者の「待賢門院堀河」は源顕仲の娘である。待賢門院璋子に仕え、女院の出家に従って尼となった。中古六歌仙の一人で、小倉百人一首にも歌が採られている。
本巻の第九百九十七首の「わがよの更け」と、「わがよ」の「更け」を詠む点で共通する。第九百九十七首が老いを嘆くのに対し、本歌は老いの中で心が澄むと詠み、同じ自覚から異なる心境が示されている。
初句「残りなく」は、残りもなく、すっかり、の意である。
二句「わがよ更けぬと」の「よ」は、我が身の世、すなわち齢の意と、夜の意を掛ける掛詞である。「ぬ」は完了の助動詞で、すっかり更けてしまったと、の意である。本巻の第九百九十七首の二句「わがよの更けを」と応じる。
三句「思ふにも」は、思うにつけても、の意である。
四句「傾く月に」は、西に傾いていく月に、の意である。本巻の第千三首の四句「傾くままに」と応じる。
結句「澄む心かな」は、心が澄んでいくことだ、の意で、月の澄むことと心の澄むことを重ねている。「かな」は詠嘆の終助詞である。
よ:我が身の世、齢の意と、夜の意を掛ける
- 作者
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待賢門院堀河
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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先立ちし人は闇にや迷ふらん いつまで我も月をながめん
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うき雲のかかるほどだにあるものを 隠れな果てそ有明の月