来む世には心のうちにあらはさん
飽かでやみぬる月の光を
- 歌の意味
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来世では、心の内に現そう。この世で見飽きることなく終わってしまった月の光を。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1023
詞書「月の歌とて詠める」
月の歌として詠んだ歌である。来世では心の内に現そう、見飽きることなく終わってしまった月の光を、と詠む。この世ではいくら見ても見飽きることのなかった月の光を、来世では自らの心の内に悟りの光として現したいと願っている。月を愛し続けた西行らしい、月への執着と仏道への願いが一つになった歌である。
作者の「円位法師」は西行である。俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。諸国を旅して多くの歌を詠み、家集に『山家集』がある。小倉百人一首にも歌が採られている。
本巻の第九百七十八首から続いた月の歌の最後の一首である。前歌の第千二十二首が死出の山路の月を詠んだのに続き、本歌は来世の心の内の月を詠み、月の歌群を来世への願いで締めくくっている。
初句「来む世には」の「む」は推量の助動詞で、来るであろう世、すなわち来世には、の意である。前歌の第千二十二首の初句「この世にて」と対をなす。
二句「心のうちに」は、自分の心の内に、の意である。
三句「あらはさん」の「ん」は意志の助動詞「む」で、現そう、の意である。ここで句切れとなり、以下は倒置となっている。
四句「飽かでやみぬる」の「で」は打消しの接続助詞、「やみぬる」は終わってしまった意で、闇の意を響かせる。見飽きることなく終わってしまった、の意である。
結句「月の光を」は、三句の「あらはさん」の目的語で、倒置となっている。
こむよ:来世、死後の世
やむ:終わる、途絶える。「闇」の意を響かせる
- 作者
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西行
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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この世にて六十は馴れぬ秋の月 死出の山路も面変はりすな
- 次の歌
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いかなれば沈みながらに年を経て 代々の雲居の月を見つらん