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いかなれば沈みながらに年を経て
代々の雲居の月を見つらん

歌の意味
どういうわけで、低い身分に沈んだままで年を重ねながら、代々の宮中の月を見てきたのだろうか。
鑑賞
巻第十六 雑歌上 1024

詞書「二条院の御時、四代まで侍臣なることを思ひて詠み侍りける」
 二条天皇の時代に、四代の天皇にわたって侍臣として仕えながら、なお昇進できずにいることを思って詠んだ歌である。どういうわけで、沈んだままで年を経て、代々の宮中の月を見てきたのだろう、と詠む。長年宮中に仕えて代々の帝の御代を見てきたが、自分の身分は低いまま沈んでいることを嘆き、その不遇を宮中の月に託して述懐している。
 作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫をつとめ、のちに出家して釈阿と号した。後白河院の院宣によりこの『千載和歌集』を撰進した撰者である。小倉百人一首にも歌が採られている。
 「雲居の月」を詠んで月の歌群から述懐の歌へと橋渡しをする一首である。本歌から第千二十九首まで、身の不遇や世の憂さを述べる歌が続く。次歌の第千二十五首とは「沈む」の語を共有し、本歌の「四代」に対して次歌は「三代」と詠んでいる。

 初句「いかなれば」は、どういうわけで、の意で、結句の「らん」と呼応する。
 二句「沈みながらに」の「沈む」は、不遇で低い地位にとどまる意で、沈んだままで、の意である。次歌の第千二十五首の二句「沈みし人も」と応じる。
 三句「年を経て」は、長い年月を過ごして、の意である。
 四句「代々の雲居の」の「代々」は代々の天皇の御代、「雲居」は宮中の意である。詞書の「四代」を受けている。
 結句「月を見つらん」の「つ」は完了の助動詞、「らん」は原因推量の助動詞で、月を見てきたのだろうか、の意である。月は宮中の栄えや天皇をも思わせる。

しづむ:不遇で低い地位にとどまる
くもゐ:宮中
じしん:天皇の側近く仕える臣
作者
藤原俊成
出典
千載和歌集
前の歌
来む世には心のうちにあらはさん 飽かでやみぬる月の光を
次の歌
唐国に沈みし人も我がごとく 三代まで逢はぬ嘆きをぞせし