契りおきしさせもが露を命にて
あはれ今年の秋もいぬめり
- 歌の意味
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お約束くださった、させも草に置く露のようなありがたいお言葉を命と頼んできたのに、ああ、今年の秋もむなしく過ぎ去ってしまうようだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1026
詞書「律師光覚、維摩会の講師の請を申しけるを、度々漏れにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、しめぢの原と侍りけれども、又その年も漏れにければ詠みて遣はしける」
子の律師光覚が興福寺の維摩会の講師に任じられるよう願い出ていたが、たびたび選に漏れたので、法性寺入道前太政大臣藤原忠通に恨み言を申したところ、忠通は「しめぢが原」と答えて頼みにせよとほのめかした。それなのにその年もまた漏れてしまったので詠んで送った歌である。約束しておかれたさせも草の露のようなお言葉を命と頼んでいたのに、ああ今年の秋も過ぎていくようだ、と詠む。わが子を思う親の切実な心と、裏切られた期待の嘆きを、忠通の引いた古歌の言葉を用いて訴えている。
作者の「藤原基優」は藤原基俊である。原文には「基優」とあるが、小倉百人一首に基俊の歌として採られたこの歌の作者であることから、基俊の誤りと見られる。基俊は藤原俊家の子で、右大臣藤原頼宗の孫にあたる。官位には恵まれなかったが、歌壇の重鎮として源俊頼と並び称された。
本歌は小倉百人一首に採られている。忠通の言葉は、清水観音の歌と伝える「なほ頼めしめぢが原のさせも草わが世の中にあらむ限りは」を踏まえたもので、本歌の「させもが露」はそれを受けている。前歌の第千二十五首に続き、時に逢わない嘆きを述べる述懐の歌である。
初句「契りおきし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、約束しておかれた、の意である。忠通の「しめぢが原」の言葉を指す。「ちぎりおきし」の六音で、字余りとなっている。
二句「させもが露を」の「させも」は、よもぎ、さしも草の意で、その露に、忠通のありがたい言葉をたとえている。
三句「命にて」は、命と頼んで、の意である。
四句「あはれ今年の」の「あはれ」は感動詞で、ああ、の意である。
結句「秋もいぬめり」の「いぬ」は去る、過ぎ去る意、「めり」は推量の助動詞で、秋も過ぎ去ってしまうようだ、の意である。維摩会が秋に行われることから、今年の機会も失われたことを表す。
させも:よもぎ、さしも草
ゆいまゑ:興福寺で維摩経を講じる法会
かうじ:法会で経を講説する僧
しめぢがはら:下野国の歌枕
いぬ:去る、過ぎ去る
- 作者
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藤原基俊
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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唐国に沈みし人も我がごとく 三代まで逢はぬ嘆きをぞせし
- 次の歌
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世の中のありしにもあらずなりゆけば 涙さへこそ色変はりけれ