今日こそは都のかたの山の端も
見えずなるをの沖に出でぬれ
- 歌の意味
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今日こそは、都の方角の山の端も見えなくなる、鳴尾の沖まで漕ぎ出たことだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1046
詞書「広田社の歌合とて、人々詠み侍りける時、海上眺望といへる心を詠み侍りける」
広田社の歌合として人々が歌を詠んだ時に、「海上眺望」の題で詠んだ歌である。今日こそは、都の方の山の端も見えなくなる鳴尾の沖に出たことだ、と詠む。海に漕ぎ出して振り返ると、都の方角の山並みももう見えなくなっていることに気づき、都から遠く離れた感慨を詠んでいる。「見えずなる」と地名の「鳴尾」を掛けている。
作者の「権大納言実家」は藤原実家である。右大臣藤原公能の子で、権大納言に至った。藤原実定の弟にあたる。
本歌から第千四十八首までの三首は、同じ広田社の歌合で「海上眺望」の題で詠まれた歌である。また第千五十首までの五首が、海の眺めを詠む歌として並んでいる。なお原文の詞書は「海上跳望」と表記するが、他の詞書と同じく「眺望」の意であるので、ここでは「眺望」とした。
初句「今日こそは」の「こそ」は強意の係助詞で、結句の「ぬれ」で結ぶ。今日こそは、の意である。
二句「都のかたの」は、都の方角の、の意である。
三句「山の端も」は、山の稜線も、の意である。
四句「見えずなるをの」は、「見えずなる」の「なる」に、摂津国の地名「鳴尾」を掛けている。都の山も見えなくなる鳴尾の、の意となる。
結句「沖に出でぬれ」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、初句の「こそ」の結びとなる。沖に出たことだ、の意である。
なるを:「見えずなる」の「なる」に、摂津国の地名「鳴尾」を掛ける
うたあはせ:歌人を左右に分け、歌の優劣を競う催し
てうばう:遠くを見渡すこと、眺め
- 作者
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藤原実家
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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潮満ては野島が崎のさゆり葉に 波越す風の吹かぬ日ぞなき
- 次の歌
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播磨潟須磨の晴れ間に見渡せば 波は雲居のものにぞありける