行く年は波とともにや返るらん
面変はりせぬ和歌の浦かな
- 歌の意味
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過ぎ去っていく年は、寄せては返す波とともに返ってくるのだろうか。少しも姿の変わらない和歌の浦であることよ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1051
詞書「和歌の浦を詠み侍りける」
和歌の浦を詠んだ歌である。過ぎ去っていく年は波とともに返ってくるのだろうか、面変わりしない和歌の浦であることよ、と詠む。年月が過ぎても少しも姿を変えない和歌の浦の景を見て、去っていく年も寄せては返す波とともに戻ってくるからだろうかと想像し、変わらぬ名所をたたえている。和歌の浦は和歌の道にも通わせて詠まれる歌枕であり、和歌の道の不変をことほぐ心も読み取れる。
作者の「祝部宿禰成仲」は日吉社の禰宜をつとめた祝部氏の出身の歌人である。
雑歌上の巻末の一首である。巻頭の第九百五十九首が谷の松に年を積むことを詠んだのに対し、巻末の本歌は過ぎ行く年が波とともに返ると詠み、年の移りゆきによって巻の始めと終わりが呼応している。また本巻の第九百九十六首、第千二十二首の「面変はりすな」と願った心に対し、本歌は「面変はりせぬ」和歌の浦をたたえて巻を閉じている。
初句「行く年は」は、過ぎ去っていく年は、の意である。巻頭の第九百五十九首の結句「年を積ままし」と応じる。
二句「波とともにや」の「や」は疑問の係助詞で、三句の「らん」で結ぶ。寄せては返す波とともに、の意である。
三句「返るらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、返ってくるのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
四句「面変はりせぬ」は、姿が少しも変わらない、の意である。本巻の第九百九十六首の四句、第千二十二首の結句「面変はりすな」と応じる。
結句「和歌の浦かな」の「和歌の浦」は紀伊国の歌枕で、「かな」は詠嘆の終助詞である。和歌の道にも通う名で巻を結んでいる。
わかのうら:紀伊国の歌枕で、和歌の道にも通わせて詠まれた
おもがはり:顔つきや姿が変わること
ねぎ:神職の一つで、神主の下に位置する
- 作者
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祝部成仲
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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春霞絵島が崎をこめつれば 波のかくとも見えぬ今朝かな
- 次の歌
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心あらば匂ひを添へよ桜花 後の春をばいつか見るべき