はかなさを恨みも果てじ桜花
憂き世は誰も心ならねば
- 歌の意味
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そのはかなさを恨みきることはすまい、桜の花よ。このつらい世では、誰もが思いどおりにはならないのだから。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1053
詞書「落花の心を詠み侍りける」
「落花」という題で詠んだ歌である。そのはかなさを恨みきることはすまい、桜の花よ、憂き世は誰も思いどおりにはならないのだから、と詠む。たちまち散ってしまう花を恨みたくなる心を抑え、この世では誰もが自分の心のままに生きられないのだから、花もまた好んで散るのではないだろうと思いやっている。散る花に自らの身の上を重ね、世の定めを静かに受け入れる歌である。
作者の「仁和寺後入道法親王(覚性)」は覚性法親王である。鳥羽天皇の第五皇子で、出家して仁和寺に入り、御室として仁和寺を率いた。
前歌の第千五十二首の作者である鳥羽天皇の皇子の歌が続いて置かれている。前歌が「心あらば」と花に心を求めて呼びかけたのに対し、本歌は「誰も心ならねば」と、心のままにならない世の定めを詠み、花の「心」をめぐって対をなしている。
初句「はかなさを」は、花がたちまち散ってしまうはかなさを、の意である。
二句「恨みも果てじ」の「果つ」は動詞について最後までし尽くす意、「じ」は打消意志の助動詞で、恨みきることはすまい、の意である。ここで句切れとなる。
三句「桜花」は花への呼びかけで、前歌の第千五十二首と同じく三句に置かれている。
四句「憂き世は誰も」は、つらいこの世では誰もが、の意である。
結句「心ならねば」の「心なり」は思いどおりである意で、「ねば」は打消の助動詞「ず」の已然形に「ば」が付き、思いどおりにならないのだから、と理由を示す。前歌の第千五十二首の初句「心あらば」と「心」を共有する。
はつ:動詞について、すっかり〜し終える意を表す
らくくわ:散る花、散りゆく花
- 作者
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覚性法親王
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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心あらば匂ひを添へよ桜花 後の春をばいつか見るべき
- 次の歌
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宿も宿花も昔に匂へども 主なき色は寂しかりけり