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かくてだになほあはれなる奥山に
君来ぬ夜々を思ひ知らなん

歌の意味
こうしてあなたがいてくれる時でさえ、やはりしみじみと寂しいこの奥山で、あなたの来ない夜々の寂しさを思い知ってほしい。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1062

詞書「山寺に籠もりゐて侍りける頃、雨降りて心細かりけるに、人の詣で来て歌など詠み侍りけるついでに詠める」
 山寺に籠もっていたころ、雨が降って心細かった折に、人が訪ねて来て歌などを詠んだついでに詠んだ歌である。こうしてあなたがいる時でさえやはり寂しい奥山で、あなたの来ない夜々のことを思い知ってほしい、と詠む。雨の日に客を迎えてもなお心細いのだから、ひとりで過ごす夜はどれほど寂しいかを察してほしいと訴え、訪れてくれた人への感謝と、山寺の暮らしの孤独とを合わせて伝えている。
 作者の「道命法師」は藤原道綱の子である。天台宗の僧で、天王寺別当をつとめた。読経の声の美しさで知られた。
 前歌の第千六十一首が、山里に籠もって便りを寄こさない人を待つ側から詠むのに対し、本歌は籠もっている側から訪れの少なさを訴えており、籠もる人と訪れる人の関わりをめぐって反転した構図になっている。

 初句「かくてだに」は、こうしてあなたがいる時でさえ、の意で、「だに」は程度の軽いものを挙げて重いものを類推させる副助詞である。
 二句「なほあはれなる」は、やはりしみじみと寂しい、の意である。
 三句「奥山に」は、山寺のある深い山に、の意である。
 四句「君来ぬ夜々を」は、あなたの来ない幾夜もを、の意で、初句の「かくて」と対比されている。
 結句「思ひ知らなん」の「なん」は他に対する願望を表す終助詞で、思い知ってほしい、の意である。

よよ:幾夜も、毎夜
まうでく:「来」の謙譲語、参上する
作者
道命
出典
千載和歌集
前の歌
谷の戸を閉ぢやはてつる鶯の 待つに音せで春の暮れぬる
次の歌
年ごとに涙の川に浮かべども 身は投げられぬ物にぞありける