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かくばかり憂き世の末にいかにして
春は桜のなほ匂ふらん

歌の意味
これほどつらい世の末に、どうして春になると桜は今もなお美しく咲き匂っているのだろうか。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1070

詞書「都遷りなど聞こえける又の年の春、白川の花盛りに、女の手にて、花の下に落とし置きて侍りける」
 都遷りなどの噂があった翌年の春、白川の花盛りの時に、女性の筆跡で書かれ、花の下に落として置いてあった歌である。これほど憂き世の末に、どうして春は桜がなお匂うのだろうか、と詠む。治承四年(1180)の平清盛による福原遷都の後の騒然とした世を「憂き世の末」と嘆き、人の世の乱れにもかかわらず変わらず咲く桜に、驚きとも恨みともつかない思いを向けている。名を記さず花の下に置かれたという詞書が、歌に謎めいた趣を添えている。
 作者は「読人不知」とあり、名は明らかでない。詞書から、女性の筆跡で書かれていたことが知られる。
 前歌の第千六十九首が無常を思うことで落花に耐えると詠んだのに続き、本歌は世の無常の中で変わらず咲く花を詠んでいる。また本巻の第千百十九首、第千百二十一首と初句「かくばかり」を共有し、特に第千百二十一首とは「かくばかり憂き世の中を」と、憂き世を嘆く言い出しが通う。

 初句「かくばかり」は、これほどまでに、の意である。本巻の第千百十九首、第千百二十一首と同じ初句である。
 二句「憂き世の末に」の「末」は、世の衰えた終わりの時代の意で、都遷りなどの乱れた世相を指す。次歌の第千七十一首の四句「ちりの末をも」と「末」を共有する。
 三句「いかにして」は、どうして、の意で、結句の「らん」と呼応する。
 四句「春は桜の」は、春になると桜は、の意である。
 結句「なほ匂ふらん」の「なほ」は、今もなお、の意、「らん」は原因を推量する助動詞で、どうして咲き匂っているのだろうか、の意である。

みやこうつり:都を他の地へ移すこと、遷都
すゑ:末の世、世の衰えた時代
て:筆跡
作者
よみ人しらず
出典
千載和歌集
前の歌
世の中を常なき物と思はずは いかでか花の散るに堪へまし
次の歌
古りにけり昔を知らば桜花 ちりの末をもあはれとは見よ