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古りにけり昔を知らば桜花
ちりの末をもあはれとは見よ

歌の意味
すっかり古びてしまったことだ。昔の栄えを知っているのなら、桜の花よ、散り果てた塵の中にあるこの末の者をも、哀れと思って見てくれ。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1071

詞書「花の盛りに法成寺に参りて、金堂の前の花の散りけるを見て詠める」
 花の盛りに法成寺に参詣し、金堂の前の花が散るのを見て詠んだ歌である。古びてしまったことだ、昔を知っているならば、桜の花よ、ちりの末をも哀れと見てくれ、と詠む。法成寺は藤原道長が建立した寺で、かつての栄華を伝えながらも今は古びている。作者の俊成は道長の子の長家の流れを汲む子孫であり、昔の栄えを知る桜に向かって、塵のように散り落ちた末流の身をも哀れんでほしいと呼びかけている。寺の荒廃と一門の衰えを、散る花に重ねた歌である。
 作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫をつとめ、安元二年(1176)に出家して釈阿と号した。『千載和歌集』の撰者で、藤原定家の父にあたる。
 前歌の第千七十首が憂き世の末にも変わらず匂う桜を詠むのに対し、本歌は古びた寺に散る桜に末の世を見ており、「末」を共有している。

 初句「古りにけり」は、すっかり古びてしまったことだ、の意で、法成寺の荒れたさまを言う。ここで句切れとなる。
 二句「昔を知らば」は、道長の時代の栄華を知っているならば、の意で、未然形に「ば」が付いて仮定を表す。
 三句「桜花」は、金堂の前に散る花への呼びかけである。
 四句「ちりの末をも」の「ちり」は、花が散る意の「散り」と「塵」を掛ける掛詞で、散り果てたその末と、塵のように取るに足りない末流の身とを重ねている。前歌の第千七十首の二句「憂き世の末に」と「末」を共有する。
 結句「あはれとは見よ」の「見よ」は命令形で、哀れと思って見てくれ、の意である。

ちり:花の「散り」の意と、「塵」の意を掛ける
ふる:古くなる、年を経る
こんだう:寺の本尊を安置する堂
作者
藤原俊成
出典
千載和歌集
前の歌
かくばかり憂き世の末にいかにして 春は桜のなほ匂ふらん
次の歌
山桜花を主と思はずは 人を待つべき柴の庵かは