今はただ生けらぬ物に身をなして
生まれぬ後の世にも経るかな
- 歌の意味
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今はただ、我が身を生きていないものとみなして、まだ生まれ変わらない死後の世にでもいるかのように過ごしていることだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1088
詞書「摂政右大臣の時の家の歌合に、述懐の歌とて詠める」
のちに摂政となった藤原兼実が右大臣であった時、その家で催された歌合で、述懐の歌として詠んだ歌である。今はただ生きていないものと身をみなして、生まれぬ後の世にいるかのように過ごしていることだ、と詠む。望みもなく不遇のうちに日を送る身を、すでに死んだものと思いなし、次の世に生まれ変わるのを待つ間の世を生きているかのようだと言う。生きながら死んだも同然の身を見つめる、深い諦めの歌である。
作者の「源師光」は大納言源師頼の子である。歌人として知られ、子に源具親や宮内卿がいる。
前歌の第千八十七首が過ぎた昔に戻る道を求めるのに対し、本歌は生まれぬ後の世にいるかのように過ごすと詠み、昔と後の世という時の向きにおいて対照をなしている。
初句「今はただ」は、今となってはただ、の意である。
二句「生けらぬ物に」の「生けら」は動詞「生く」に存続の助動詞「り」の未然形「ら」が付いた形で、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形である。生きていないものに、の意となる。
三句「身をなして」の「なす」は、そのようにみなす意で、我が身をそう思いなして、の意である。
四句「生まれぬ後の」は、まだ生まれ変わらない死後の、の意である。二句の「生けらぬ」と打消を重ね、生と死の境にある身を言い表している。前歌の第千八十七首の四句「昔に返る」と、過去と後の世の対照をなす。
結句「世にも経るかな」の「経る」は時を過ごす意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。
なす:そのようにみなす、思いなす
ふ:時を過ごす、生きながらえる
- 作者
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源師光
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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いかで我ひまゆく駒を引きとめて 昔に返る道を尋ねん
- 次の歌
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いかにせむ伊勢の浜荻みがくれて 思はぬ磯の波に朽ちなば