おのづからあればある世にながらへて
惜しむと人に見えぬべきかな
- 歌の意味
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生きていればそれなりに過ぎてゆく世に、自然と長らえて、命を惜しんでいるのだと、人には見えてしまうに違いないことだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1113
詞書「百首歌の中に、述懐の歌とて詠める」
百首歌の中で、述懐の歌として詠んだ歌である。自然と、生きていればそれなりに過ぎていく世に長らえて、命を惜しんでいると人に見えてしまうだろう、と詠む。とりたてて生に執着しているわけではないのに、世を捨てもせず死にもせずに長らえていると、人からは命を惜しんでいるように見られてしまうだろうと、望まずして生き続ける身の割り切れなさを詠んでいる。
作者の「藤原定家」は藤原俊成の子である。のちに『新古今和歌集』の撰者の一人となり、『新勅撰和歌集』を撰んだ。
次歌の第千百十四首と同じ詞書で、百首歌の述懐の歌が続く。また本巻の第千百二十六首の結句「ながらふるかな」と、「ながらふ」を共有する。
初句「おのづから」は、自然と、成り行きのままに、の意である。
二句「あればある世に」は、生きていればそれなりに過ぎていく世に、の意で、「ある」を重ねて成り行き任せの生を言い表している。
三句「ながらへて」は、生きながらえて、の意である。本巻の第千百二十六首の結句「ながらふるかな」と「ながらふ」を共有する。
四句「惜しむと人に」は、命を惜しんでいると人に、の意である。
結句「見えぬべきかな」の「ぬ」は強意の助動詞、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形で、きっと見えてしまうだろう、の意である。
ながらふ:生きながらえる
- 作者
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藤原定家
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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そま川に下すいかだのうきながら 過ぎゆく物は我が身なりけり
- 次の歌
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憂しとても厭ひも果てぬ世の中を なかなか何に思ひ知りけん