憂しとても厭ひも果てぬ世の中を
なかなか何に思ひ知りけん
- 歌の意味
-
つらいといっても、厭い捨てきることもできないこの世の中なのに、なまじどうしてそのつらさを思い知ってしまったのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十七 雑歌中 1114
詞書は前の歌に続き「百首歌の中に、述懐の歌とて詠める」
百首歌の中で、述懐の歌として詠んだ歌である。つらいといっても厭い果てることもできない世の中を、なまじどうして思い知ったのだろうか、と詠む。世のつらさを知っても、それで世を捨てきれるわけではない。どうせ捨てられないのならば、なまじつらさなど知らなければよかったものをと、世を知ったことの悔いを詠んでいる。
作者の「摂政家丹後」は源頼行の娘で、摂政藤原兼実の家に仕えた女房である。のちに兼実の娘の宜秋門院任子に仕え、宜秋門院丹後とも呼ばれた。
前歌の第千百十三首と同じ詞書である。また本巻の第千八十二首の三句「憂しとても」、結句「厭ひ果つべき」と言葉を共有する。第千八十二首が我が身を厭い果てることはできないと詠むのに対し、本歌は厭い果てることのできない世の中を詠んでいる。
初句「憂しとても」は、つらいといっても、の意である。本巻の第千八十二首の三句と同じ言い回しである。
二句「厭ひも果てぬ」は、すっかり厭い捨てることもできない、の意である。本巻の第千八十二首の結句「厭ひ果つべき」と通う。
三句「世の中を」の「を」は、〜なのに、と逆接の意を含んで下に続く。
四句「なかなか何に」の「なかなか」は、なまじ、かえって、の意で、「何に」は、どうして、の意である。
結句「思ひ知りけん」の「けん」は過去推量の助動詞「けむ」の連体形で、どうして思い知ったのだろうか、の意である。
いとひはつ:すっかり嫌って捨て去る
- 作者
-
宜秋門院丹後
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
おのづからあればある世にながらへて 惜しむと人に見えぬべきかな
- 次の歌
-
登るべき道にぞ惑ふ位山 これより奥のしるべなければ