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寂しさを憂き世にかへて忍ばずは
ひとり聞くべき松の風かは

歌の意味
この寂しさを、憂き世のつらさと引き換えにして耐え忍ぶのでなければ、ひとりで聞いていられるような松風の音であろうか、いや、とても聞いてはいられない。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1138

詞書「題知らず」
 寂しさを憂き世と引き換えにして耐え忍ぶのでなければ、ひとり聞いていられる松の風であろうか、と詠む。山の住まいで聞く松風の音は、ひとりで聞くにはあまりに寂しい。それでも耐えていられるのは、つらい世の中に身を置く苦しみと引き換えにこの寂しさを選んだからだと、隠棲の寂しさを受け入れる覚悟を詠んでいる。
 作者の「寂蓮法師」は藤原俊海の子で、俗名を定長という。叔父の藤原俊成の養子となったが、のちに出家した。
 本巻の第千百三十四首が閑居で水の音を聞くのに対し、本歌は松の風の音を聞き、静かな住まいに響く音を詠む点で通う。

 初句「寂しさを」は、山の住まいの寂しさを、の意である。
 二句「憂き世にかへて」の「かふ」は引き換えにする意で、憂き世のつらさと引き換えにして、の意である。
 三句「忍ばずは」の「ずは」は打消の仮定で、耐え忍ぶのでなければ、の意である。
 四句「ひとり聞くべき」は、ひとりで聞いていられる、の意である。
 結句「松の風かは」の「かは」は反語の係助詞で、松の風であろうか、いやそうではない、の意である。

かふ:取り替える、引き換えにする
作者
寂蓮
出典
千載和歌集
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おほけなく憂き世の民におほふかな 我が立つ杣にすみぞめの袖
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