世の中の憂きは今こそ嬉しけれ
思ひ知らずは厭はましやは
- 歌の意味
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世の中のつらさは、今となってはかえってうれしいことだ。そのつらさを思い知らなかったならば、世を厭うことなどあっただろうか、いや、なかっただろう。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1146
詞書「賀茂社歌合に、述懐歌とて詠める」
賀茂社の歌合で、述懐の歌として詠んだ歌である。世の中のつらさは今こそうれしい、思い知らなかったならば世を厭っただろうか、と詠む。世のつらさを身にしみて知ったからこそ、この世を厭い、仏道を求める心が生まれた。そう思えば、つらさも今はかえってありがたいと、憂き世の苦しみを出家への機縁として肯定的にとらえ直している。
作者の「寂蓮法師」は藤原俊海の子で、俗名を定長という。叔父の藤原俊成の養子となったが、のちに出家した。
本巻の第千七十六首と同じく、賀茂社の歌合で詠まれた述懐の歌である。また本巻の第千百十四首の結句「思ひ知りけん」と「思ひ知る」を共有する。第千百十四首が世のつらさを思い知ったことを悔やむのに対し、本歌は思い知ったからこそ世を厭えたと喜び、対照をなしている。
初句「世の中の」は、世の中の、の意である。
二句「憂きは今こそ」の「こそ」は強意の係助詞で、三句の「けれ」で結ぶ。
三句「嬉しけれ」は形容詞「嬉し」の已然形で、係り結びの結びである。ここで句切れとなる。
四句「思ひ知らずは」の「ずは」は打消の仮定で、思い知らなかったならば、の意である。本巻の第千百十四首の結句「思ひ知りけん」と「思ひ知る」を共有する。
結句「厭はましやは」の「まし」は反実仮想の助動詞、「やは」は反語で、世を厭っただろうか、いや厭わなかっただろう、の意である。
いとふ:嫌って避ける、いとわしく思う
- 作者
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寂蓮
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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分けわびて厭ひし庭の蓬生も かれぬと思ふはあはれなりけり
- 次の歌
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世を背き草の庵にすみ染の 衣の色はかへるものかは