世の中よ道こそなけれ思ひいる
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
- 歌の意味
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ああ、この世の中よ。憂さから逃れる道などないのだ。思いつめて分け入ったこの山の奥にも、鹿が悲しげに鳴いているのが聞こえる。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1151
詞書「述懐の百首歌詠み侍りける時、鹿の歌とて詠める」
述懐の百首歌を詠んだ時、鹿の歌として詠んだ歌である。世の中よ、逃れる道などないのだ、思いつめて入った山の奥にも鹿が鳴いているようだ、と詠む。憂き世を逃れようと思いつめて山の奥に入ったが、そこでも妻を恋う鹿が悲しげに鳴いている。山の奥にさえ悲しみはあり、この世のどこにも憂さを逃れる道はないと悟った嘆きを、鹿の声に託して詠んでいる。この歌は『小倉百人一首』にも採られている。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫をつとめ、安元二年(1176)に出家して釈阿と号した。『千載和歌集』の撰者で、藤原定家の父にあたる。
本巻の第千七十三首が吉野の奥にも花は散ると詠むのと、山の奥にも憂き世の嘆きから逃れる場所はないとする点で通い、ともに結句を伝聞推定の「なり」で結んでいる。また次歌の第千百五十二首と「鹿の音」を共有する。
初句「世の中よ」の「よ」は詠嘆の間投助詞で、世の中よ、と呼びかけるように嘆いている。
二句「道こそなけれ」の「道」は憂き世を逃れる方法の意で、「こそ」は強意の係助詞で、已然形の「なけれ」で結ぶ。ここで句切れとなる。
三句「思ひいる」の「いる」は、深く思い込む「思ひ入る」の意と、山に「入る」の意を掛ける掛詞である。
四句「山の奥にも」は、山の奥深くにも、の意である。本巻の第千七十三首の四句「吉野の奥も」と、山の奥を共有する。
結句「鹿ぞ鳴くなる」の「ぞ」は強意の係助詞で、伝聞推定の助動詞「なり」の連体形「なる」で結ぶ。鹿が鳴いているのが聞こえる、の意である。次歌の第千百五十二首の三句「鹿の音は」と鹿の声を共有する。
いる:深く思い込む「思ひ入る」の意と、山に「入る」の意を掛ける
しか:鹿、秋に妻を求めて鳴くとされた
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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いづくにか身を隠さまし厭ひ出でて 憂き世に深き山なかりせば
- 次の歌
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思ふことありあけがたの鹿の音は なほ山深く家居せよとや