- 歌の意味
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初瀬山の入相の鐘を聞くたびに、亡き父の生きていた昔が、日一日と遠くなっていくのが悲しい。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1154
詞書「太宰大弐重家入道みまかりて後、山寺懐旧といへる心を詠める」
大宰大弐藤原重家が出家の後に亡くなってから、「山寺に昔を懐かしむ」という題で詠んだ歌である。初瀬山の入相の鐘を聞くたびに、昔が遠くなるのが悲しい、と詠む。夕暮れごとに響く初瀬の寺の鐘は、一日の終わりを告げる。その鐘を聞くたびに一日が過ぎ、父の生きていた昔が少しずつ遠ざかっていくと、日を重ねるごとに薄れていく過去への悲しみを、鐘の音に託して詠んでいる。
作者の「藤原有家朝臣」は大宰大弐藤原重家の子である。のちに『新古今和歌集』の撰者の一人となった。
前歌の第千百五十三首と「昔」を共有する。また本巻の第千百四十九首が暁の鐘を聞くのに対し、本歌は夕暮れの入相の鐘を聞き、朝夕の鐘の音が対をなしている。
初句「初瀬山」は大和国の歌枕で、長谷寺のある山である。
二句「入相の鐘を」は、夕暮れに寺でつく鐘を、の意である。本巻の第千百四十九首の三句「鐘の音を」と「鐘」を共有し、暁と夕暮れの鐘が対をなす。
三句「聞くたびに」は、聞くたびごとに、の意である。
四句「昔の遠く」は、父の生きていた昔が遠く、の意である。前歌の第千百五十三首の結句「昔なりせば」と「昔」を共有する。
結句「なるぞ悲しき」の「ぞ」は強意の係助詞で、連体形の「悲しき」で結ぶ係り結びである。
はつせやま:大和国の歌枕で、長谷寺のある山
いりあひ:日没のころ、またその時刻に寺でつく鐘
- 作者
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藤原有家
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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見る夢の過ぎにし方を誘ひ来て 覚むる枕も昔なりせば
- 次の歌
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散り積もる苔の下にも桜花 惜しむ心やなほ残るらん