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あしたづの雲路迷ひし年暮れて
霞をさへや隔て果つべき

歌の意味
葦辺の鶴が雲路に迷ったように、我が子が宮中への道に迷った年も暮れて、新しい春の霞までもが、我が子を宮中からすっかり隔ててしまうのだろうか。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1158

詞書「今上御時五節のほど、侍従定家過ちあるさまに聞こしめすことありて、殿上除かれて侍りける、その年も暮れにける又の年、弥生の朔日頃、院に御気色賜はるべきよし、左少弁定長がもとに申し侍りけるに、添へて侍りける」
 今上(後鳥羽天皇)の御代の五節の折に、侍従の藤原定家が過ちを犯したとお聞きになられることがあって、殿上の籍を除かれた。その年も暮れた翌年の三月初めごろ、後白河院のご意向をうかがいたいと、左少弁藤原定長のもとに申し入れた際に、添えた歌である。葦辺の鶴が雲路に迷った年も暮れて、霞までも隔て果ててしまうのだろうか、と詠む。文治元年(1185)の五節の折に定家が殿上で争いを起こし、殿上の籍を除かれた事件を受けたもので、子が許されないまま年が暮れ、春になってもなお宮中から隔てられたままなのかと、子を思う親の切ない心を、鶴と霞の景に託して訴えている。
 作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫をつとめ、安元二年(1176)に出家して釈阿と号した。『千載和歌集』の撰者で、藤原定家の父にあたる。
 次歌の第千百五十九首は、本歌に対する定長の返歌である。また前歌の第千百五十七首に続き、殿上への還昇をめぐる歌である。

 初句「あしたづの」の「あしたづ」は葦辺にいる鶴のことで、子を思う親鶴の姿が詠まれる鳥である。ここでは宮中を追われた定家をたとえている。
 二句「雲路迷ひし」の「雲路」は雲の中の通り道で、宮中を雲の上というのにちなみ、宮中への道を言う。巻頭近くの第千五十六首の初句「雲の上の」と、宮中を雲にたとえる点で通う。
 三句「年暮れて」は、その年も暮れて、の意で、殿上を除かれたまま年が改まったことを言う。
 四句「霞をさへや」の「霞」は新しい春の霞で、「さへ」は添加の副助詞、「や」は疑問の係助詞で、結句の「べき」で結ぶ。次歌の第千百五十九首の二句「霞を分けて」と「霞」を共有する。
 結句「隔て果つべき」は、すっかり隔ててしまうのだろうか、の意で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形である。

あしたづ:葦辺にいる鶴、鶴の歌語
くもぢ:雲の中の通り道、宮中を雲の上というのにちなむ
ごせち:新嘗祭などの折に行われた舞姫の舞の行事
みけしき:貴人の意向、ご機嫌
作者
藤原俊成
出典
千載和歌集
前の歌
嬉しさをよその袖まで包むかな たちかへりぬる天の羽衣
次の歌
あしたづは霞を分けて帰るなり 迷ひし雲路けふや晴るらん