いとどしく昔の跡や絶えなんと
思ふも悲し今朝の白雪
- 歌の意味
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いっそう、昔の聖たちの跡が絶えてしまうのではないかと思うのも悲しい。今朝の白雪よ。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1225
詞書「比叡の山に堂衆学徒不和のこと出で来たりて、学徒みな散りける時、法印慈円、千日の山籠り満ちなんことも近く、聖の跡を絶たんことを嘆きて、かすかに山洞にとどまりて侍りけるほどに、冬にもなりにければ、雪の降りける朝、尊円法師のもとに遣はしける」
比叡山で堂衆と学徒が争い、学徒がみな山を去った時、慈円は千日の山籠りが満ちようとしており、先人の聖たちの修行の跡が絶えることを嘆いて、ひそかに山の洞にとどまっていた。冬になり、雪の降った朝に尊円法師のもとに送った歌である。いっそう昔の跡が絶えるのではないかと思うのも悲しい、今朝の白雪よ、と詠む。人の去った山に雪が降り積もり、足跡も道も埋もれてゆくさまに、比叡山の仏法の伝統が途絶えることへの憂いを重ねている。
作者の「法印慈円」は関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。のちに天台座主を四度務め、史論『愚管抄』を著した。家集に『拾玉集』がある。
次歌の第千二百二十六首は尊円の返しで、本歌の「昔の跡」と雪を受けて応えている。なお読み仮名の行の四句は「おみふもかなし」とあり、本文の「おもふもかなし」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
初句「いとどしく」は、いよいよ、ますます、の意である。
二句「昔の跡や」の「昔の跡」は、先人の聖たちが修行した跡で、比叡山の仏法の伝統を言う。「や」は疑問の係助詞で、三句の連体形「なん」で結ぶ。次歌の第千二百二十六首の四句「昔の跡は」に受け継がれる。
三句「絶えなんと」の「なん」は完了の助動詞「ぬ」の未然形に推量の助動詞「む」が付いた形で、絶えてしまうだろうか、の意である。
四句「思ふも悲し」は、そう思うのも悲しい、の意で、ここで句切れとなる。
結句「今朝の白雪」は、跡を埋めて降り積もる雪で、体言止めとなっている。次歌の第千二百二十六首の三句「降る雪に」に受け継がれる。
だうしゆ:比叡山で堂の管理や雑務に携わった僧
がくと:比叡山で学問を修める僧
やまごもり:山にこもって修行すること
- 作者
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慈円
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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澄めば見ゆ濁れば隠る定めなき この身や水に宿る月影
- 次の歌
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君が名ぞなほ現れん降る雪に 昔の跡は埋もれぬとも