古典和歌stream

むなしきも色なるものと悟れとや
春の御空の緑なるらん

歌の意味
空なるものもまた色あるものだと悟れというのだろうか。春の大空が緑色をしているのは。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1229

詞書「同じ百首の時、色即是空空即是色の心を詠める」
 兼実家の同じ百首歌の折、色即是空、空即是色の心を詠んだ歌である。むなしいものも色あるものだと悟れというのか、春の空が緑であるのは、と詠む。般若心経の、形あるものはすなわち空であり、空はすなわち形あるものである、という句を、何もない空が春には緑に色づいて見えることに託し、空と色とが一つであることを目に見える景色として示している。
 作者の「摂政家丹後」は九条兼実の家に仕えた女房で、のちに兼実の娘の宜秋門院任子に仕えて宜秋門院丹後と呼ばれた。
 前歌の第千二百二十八首と同じ兼実家の百首歌の折の歌で、前歌の「むなし」を受けて空を詠む。

 初句「むなしきも」の「むなしき」は仏教でいう空のことで、「空」の字が「そら」とも読まれることから、四句の「御空」へと通わせている。前歌の第千二百二十八首の二句「むなしと説ける」を受けている。
 二句「色なるものと」の「色」は仏教でいう形あるもののことで、色彩の意を重ねている。
 三句「悟れとや」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」で結ぶ。悟れというのか、の意である。
 四句「春の御空の」の「御空」は空の美称で、初句の「むなしき」すなわち空と照らし合っている。
 結句「緑なるらん」の「らん」は原因推量の助動詞「らむ」の連体形で、係り結びの結びとなる。空が緑に見えるのは、そう悟らせるためなのだろうか、の意である。

しき:仏教で、形あるもの、物質的な存在
くう:仏教で、すべてのものに固定した実体がないこと
みそら:空の美称
作者
宜秋門院丹後
出典
千載和歌集
前の歌
呉竹のむなしと説ける言の葉は 三世の仏の母とこそ聞け
次の歌
長き夜もむなしき物と知りぬれば 早く明けぬる心地こそすれ