武蔵野の堀かねの井もあるものを
うれしく水の近づきにける
- 歌の意味
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武蔵野には、掘っても水を得かねるという堀かねの井もあるというのに、うれしいことに水が近づいたことだ。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1241
詞書「法師品、漸見湿土泥、決定知近水の心を詠み侍りける」
法華経法師品の、次第に湿った土や泥を見て、水が近いことを必ず知る、という句の心を詠んだ歌である。法師品には、高原で水を求めて井戸を掘る者が、乾いた土が次第に湿った泥になるのを見て水が近いと知るように、法華経を聞く者は悟りに近づいていると説かれる。武蔵野の堀かねの井もあるのに、うれしいことに水が近づいた、と詠む。掘っても容易に水の出ない名高い井を引き合いに出し、法華経に出会って悟りの水に近づいた喜びを詠んでいる。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。権中納言藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫に至り、のちに出家した。本集『千載和歌集』の撰者で、藤原定家の父にあたる。
法華経の品を順に詠んだ一連の三首目である。
初句「武蔵野の」は武蔵国の広い野で、歌枕である。
二句「堀かねの井も」の「堀かねの井」は武蔵野にあったという井で、掘りかねるほど深く、水を得にくいものとして詠まれる。
三句「あるものを」の「ものを」は逆接の接続助詞で、あるのに、の意である。
四句「うれしく水の」の「水」は経文の「近水」を受け、悟りをたとえている。
結句「近づきにける」の「に」は完了、「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形で、近づいたことだ、の意である。連体形で止めて余情を残している。
ほりかねのゐ:武蔵野にあったという井、掘りかねるほど深く水を得にくいとされた
ほふしほん:法華経の一品、法華経を説き広める者の功徳を説く
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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千載和歌集
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水草のみ繁き濁りと見しかども さても月澄むえにこそありけれ
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谷水を結べば映る影のみや 千歳を送る友となりけん