- 歌の意味
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谷の水を手ですくうと映る自分の影だけが、千年を送る間の友となったのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1242
詞書「提婆品を詠める」
法華経提婆達多品を詠んだ歌である。前世の釈迦が仙人に千年仕え、水を汲み薪を拾った故事をふまえ、谷水をすくえば映る影だけが千年を送る友となったのだろうか、と詠む。山中でひとり水を汲む長い修行の歳月の孤独を、すくった水に映る自分の影だけが友であったと思いやって詠んでいる。
作者の「顕昭法師」は左京大夫藤原顕輔の猶子である。六条家の歌学者として知られた。
法華経の品を順に詠んだ一連の四首目である。本巻の第千二百十三首も提婆品を詠み、千年の間水を汲んだ故事を、同歌は無私の奉仕として、本歌は孤独な歳月として描いている。
初句「谷水を」は、谷を流れる水を、の意で、仙人に仕えて汲んだ水を言う。
二句「結べば映る」の「結ぶ」は手で水をすくう意で、本巻の第千二百十三首の二句「結びし水も」と同じく、提婆品の水汲みの故事をふまえている。
三句「影のみや」の「影」は水に映る自分の姿で、「や」は疑問の係助詞、結句の「けん」で結ぶ。
四句「千歳を送る」は、千年の歳月を過ごす、の意で、本巻の第千二百十三首の初句「千歳まで」と照らし合う。
結句「友となりけん」の「けん」は過去推量の助動詞「けむ」の連体形で、係り結びの結びとなる。
むすぶ:手で水をすくう
- 作者
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顕昭
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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武蔵野の堀かねの井もあるものを うれしく水の近づきにける
- 次の歌
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朽ち果てて危ふく見えしをばただの 板田の橋も今渡すなり