わが頼む日吉の影は奥山の
柴の戸までもささざらめやは
- 歌の意味
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わたしが頼みにする日吉の神の光は、奥山の柴の戸の庵にまでも、射さないことがあろうか、きっと射すだろう。
- 鑑賞
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巻第二十 神祇歌 1275
詞書「述懐歌の中に詠み侍りける」
述懐の歌の中で詠んだ歌である。わが頼む日吉の光は、奥山の柴の戸までも射さないことがあろうか、と詠む。日吉社は比叡山の地主神をまつる社で、天台宗の守護神とされる。比叡山の僧である作者が、山中の粗末な庵に籠る身にも、日吉の神の恵みの光はきっと及ぶと、神への深い信頼を詠んでいる。
作者の「法印慈円」は関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。のちに天台座主を四度務め、史論『愚管抄』を著した。家集に『拾玉集』がある。
ここから日吉社の歌が続き、次歌の第千二百七十六首と第千二百七十七首も日吉の神を詠む。また本巻の第千二百七十九首の結句「晴れざらめやは」は、本歌の結句「ささざらめやは」と同じ反語の形をとる。
初句「わが頼む」は、わたしが頼みにする、の意である。
二句「日吉の影は」の「日吉」は近江国坂本の日吉社で、名の「日」に光の意の「影」が縁語として続いている。
三句「奥山の」は、人里離れた奥深い山の、の意で、比叡山の奥を思わせる。
四句「柴の戸までも」の「柴の戸」は柴で作った粗末な戸で、山中の庵を言う。
結句「ささざらめやは」の「さす」は光が射す意で、「ざら」は打消、「め」は推量の助動詞「む」の已然形、「やは」は反語である。射さないことがあろうか、きっと射す、の意となる。本巻の第千二百七十九首の結句「晴れざらめやは」と同じ形である。
ひよし:近江国坂本の日吉社、比叡山の守護神をまつる
しばのと:柴で作った粗末な戸、山中の庵
- 作者
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慈円
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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貴船川玉散る瀬々の岩波に 氷を砕く秋の夜の月
- 次の歌
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いつとなく鷲の高嶺にすむ月の 光を宿す志賀の唐崎