蜻蛉日記
思っているという私の言葉を、薄情な人の茂る嘆きに添えて恨まないでほしい。
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蜻蛉日記 - 藤原道綱母
水底までも枯れるというまこも草は、いったいどんな沢に根をとどめているのだろう。
まこも草を刈るというのは淀の沢なのだろうか。根をとどめるという沢は、そこだとか。
我が家の嘆きの下葉は、色深く色変わりしてしまった。長雨が降り、物思いにふけっている間に。
蜻蛉日記 - 藤原兼家
時節でもないのに色づいた紅葉は、しかるべき時に出あってこそ、いっそう色まさるものだ。
藻塩を焼く煙が空に立ったのは、燻べたのだろうか、くすぶる思いのために。
思い出すこともあるまいと思っていたけれど、「や」と言われて、はっと気づかされたことだ。
吹く風に託してでもお訪ねしよう。蜘蛛の通っていた道は、空で絶えてしまうとしても。
色変わりする心と見るので、託してお訪ねくださるその風までも、不吉に思われることだ。
踏み置いた浦も心も荒れてしまったので、跡をとどめない千鳥であったのだ。
心があるといって踏み返し、文を返すとしても、浜千鳥は浦にだけ跡をとどめるものだ。
浜千鳥の跡の行き着く先を尋ねるといって、行方も分からない浦見を、恨みをすることになるのだろうか。
表に出しては言うまい。まったく、ありきたりに靡く尾花に任せて見ていよう。
穂に出たなら、まっさきに靡くだろう、花すすきは。「こち」という風が吹くのにつれて。
嵐ばかりが吹くらしい宿の花すすきは、穂に出たとしても甲斐がないだろう。
多くの草に入り乱れて見える花の色は、ただ白露の置きどころ、その奥にあるのだろうか。