蜻蛉日記 - 藤原道綱母
万世を、野辺のあたりに住む人は、めぐりめぐって秋を待つのだろうか。
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降る雪に積もる年を、世を経ながら、消える時期もない我が身を恨むことだ。
夜のうちは松にも露はかかっていたのだった。明ければ消えてしまうものだと、思い知ることだ。
鶯も、終わる時のない物思いをしているのだろうか。六月になっても尽き果てない声で鳴いているようだ。
鳴き返す声が競い合って聞こえてくる。待っていたのだろうか、関のひぐらしは。
うらやましいことだ。駒の足が速く走る、その走井の——
蜻蛉日記
清水に姿が淀むものだろうか。淀みなどしはしない。
つらい世をこれほどと見た、その三津の浜辺で、涙に名残があるかどうかと見届けたことだ。
稲妻の光さえ見ない家隠れでは、軒端の苗も物思いをしているらしい。
蜘蛛の糸の、今はもうこれまでと限られる筋であっても、こうしてしばらくは絶えまいと思う。
絶えてしまったとも聞くのが悲しいことだ。この年月を、どのように糸を掛け渡してこられたのか。雲になったわけでもないのに。
言い争えば、思いに堪えかねる、その天雲に、まっさきに逸れてゆく鷹こそ悲しいことだ。
思いをせき止める胸の火むらは、そしらぬ顔をしていて、涙を沸かすものであったのだ。
払っても塵ばかりが積もる狭筵も、嘆きを敷くことには及ぶまいと思う。
なびくことよ、思いもよらぬ方へ。呉竹の、このつらい世の末は、こうであったのだ。
降る雨の脚とも見えるほどに落ちる涙であることよ。細やかに、物を思い砕くので。