蜻蛉日記 - 藤原兼家
教えてあげよう、月は西へと行くもの。その行く先は、私だけが知っているはずのことだ。
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蜻蛉日記 - 藤原道綱母
生きているとだけでも、遠くからでもよいから見たい。その名を持つのなら、私に聞かせてくれ、耳らくの島よ。
蜻蛉日記
どこと思って、噂に聞くばかりのみみらくの島に隠れてしまった人を尋ねよう。
手も触れないのに、花は盛りになってしまった。あの人がとどめ置いた露にかかって。
蓮の葉の上で玉となるであろうその露を結ぶにつけても、袖はいっそう濡れまさる、今朝の露であることよ。
思っただろうか。雲の林、その雲林院に打ち捨てて、空の煙となって立つことになろうとは。
藤衣を流す、その涙の川水は、岸をも越えるほど、着ていたころにもまさるものであった。
もう今はと思って弾き出す琴の音を聞くと、掻き返してみても、やはり悲しいことだ。
亡き人は訪れもしないで、琴の緒を断ったその月日ばかりが、巡り返ってきたことだ。
引きとどめるすべもないままに、逢坂の関の、その朽ち目とも見える音に、袖は濡れそぼつことだ。
思いやる逢坂山の関の音は、聞くにつけても、袖に朽ち目がついてしまうことだ。
これが最期かと思いながら帰ってきた、その道中よりも、なまじこうしているほうがつらいことだ。
私もそのとおりです。のどかな床の浦ではなくて、帰ってゆかれる波路が気がかりでなりませんでした。
葵とか、逢ふ日とかは聞くけれど、よそに立っている、その橘の——
あなたの薄情さを、今日こそは見ることだ。
菖蒲草の生い育った数を数えながら、引くという五月の節会が、切に待たれることだ。