蜻蛉日記 - 藤原兼家
隠れ沼に生える数を、いったい誰が知ろうか。あやめも分からぬままに、待たれているのだなあ。
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蜻蛉日記 - 藤原道綱母
絶えてしまったのだろうか。影だけでもあれば問うこともできように、形見の水には水草が生えてしまった。
霊験のあらたかな山口であるのなら、ここにいながらにして、神の御心のほどを見せてほしいと思う。
稲荷山を、多くの年月にわたって越えてきたことだ。祈るしるしの杉を頼みにして。
神々よ、と申しながら上り下りするのは苦しいけれど、まだ坂も行き着かず、栄えてもゆかない心地がすることだ。
上流でせき止めているのだろうか、下流に水屑が積もっているのだろうか。思う心の行き着かない、みたらし川よ。
榊葉の常磐堅磐に木綿四手を掛けて祈ります。堅苦しくつらい目を、どうかお見せくださいますな、神よ。
早く早くとばかり待ち続けていることだ。杜の木の間から光を見る、その時を。
木綿襷が結ぼれるように、心も結ぼれながら嘆くこと、それが絶えたなら、神のしるしと思おう。
蜻蛉日記
数も知れないほど思う心に比べれば、十重ねたのも、大したものとは見えません。
思ってくださる程度を知らなくては、かいがないでしょう。返す返すも、その数を見たいものです。
世の中をはかないものと見る、その御陵の埋もれる山で、嘆いておられるのだろうか。
後れまいと、つらい御陵に思いを入れる、この心は、もう死出の山にあるのでしょうか。
奥山に入られた方を思いやるだけでも悲しいのに、そのうえまた、あま雲がかかるとはどうしたことか。
山深く入ってしまった人を尋ねてはみるけれど、やはり天雲のよそ、遠く隔たったものになってしまう。
片荷は、いや片恋は苦しいことでしょう。この山賤には朸がないとは見えないのに。