古典和歌stream

後撰和歌集 - 藤原守文

世の中の悲しきことをきくの上に
置く白露ぞ涙なりける

世の中の悲しいことを聞いて、菊の上に置く白露こそ、私の涙なのであった。

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後撰和歌集 - 藤原清正

きくにだに露けかるらむ人の世を
目に見し袖を思ひやらなむ

聞くだけでも菊の露のように涙に濡れるという人の世の別れを、目の当たりに見た私の袖を思いやってほしい。

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後撰和歌集 - 紀貫之

引き植ゑし二葉の松はありながら
君が千歳のなきぞ悲しき

引き抜いて植えた二葉の松は、こうして残っているのに、あなたの千年の寿命がなかったことが悲しい。

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後撰和歌集 - よみ人しらず

君まさで年は経ぬれどふるさとに
尽きせぬものは涙なりけり

あなたがいらっしゃらなくなって年は経ったけれども、この古い家で尽きないものは涙なのであった。

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後撰和歌集 - 戒仙

過ぎにける人を秋しも問ふからに
袖は紅葉の色にこそなれ

すでに亡くなってしまった人を、秋のこの時に訪ねたばかりに、私の袖は紅葉の色、紅の涙の色に染まってしまう。

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後撰和歌集 - よみ人しらず

袖乾く時なかりつる我が身には
降るを雨とも思はざりけり

涙で袖が乾く時もなかった我が身には、降るものを雨だとも思わなかった。

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後撰和歌集 - よみ人しらず

ふるさとに君はいづらと待ち問はば
いづれの空の霞と言はまし

もとの家で、あの方はどこにと待っていた人に問われたならば、どの空の霞になったと答えたらよいのだろうか。

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後撰和歌集 - 藤原清正

君がいにし方やいづれぞ白雲の
主なき宿と見るが悲しさ

あなたが去って行った方角はどちらなのか。白雲のかかる、主のいない家と見るのが悲しいことだ。

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後撰和歌集 - よみ人しらず

わび人の袂に君が移りせば
藤の花とぞ色は見えまし

悲しみに沈む私の袂に、あなたの姿が移り映ったならば、喪服の色も藤の花のように見えたことだろう。

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後撰和歌集 - よみ人しらず

よそに居る袖だにひちし藤衣
涙に花も見えずぞあらまし

離れた所にいた私の袖でさえ涙に濡れたのだから、あなたの藤衣は涙のために、花の色も見えなかったことだろう。

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後撰和歌集 - 伊勢

ほどもなく誰も後れぬ世なれども
とまるは行くを悲しとぞ見る

まもなく誰もが後に残らず死んでゆく世であるけれども、この世にとどまる者は、先に行く者を悲しいと見るのである。

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後撰和歌集 - 藤原玄上の娘

時の間も慰めつらむ覚めぬ間は
夢にだに見ぬ我ぞ悲しき

あなたは、夢から覚めない間は、ほんのひとときでも心を慰めたことだろう。夢にさえ亡き人を見ない私こそが悲しい。

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後撰和歌集 - 大輔

悲しさの慰むべくもあらざりつ
夢のうちにも夢と見ゆれば

悲しさが慰められることもなかった。夢の中でも、これは夢だとわかって見えたので。

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後撰和歌集 - 伊勢

かけてだに我が身の上と思ひきや
来む年春の花を見じとは

少しでも我が身の上のことと思っただろうか。来年の春の花を見ることがないとは。

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後撰和歌集 - 伊勢

なく声に添ひて涙はのぼらねど
雲の上より雨と降るらむ

鳴く声とともに涙が空へのぼるわけではないのに、どうして雲の上から雨となって降るのだろうか。

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後撰和歌集 - 藤原兼輔

なき人のともにし帰る年ならば
暮れゆく今日は嬉しからまし

亡き人が年とともに帰って来る年であるならば、暮れてゆく今日は嬉しいことだろうに。

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