古典和歌stream

新古今和歌集 - 円融天皇

昔より絶えせぬ川の末なれば
淀むばかりを何嘆くらん

昔から絶えることのない川の末の流れなのだから、しばらく淀むくらいのことを、どうして嘆くのだろうか。

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新古今和歌集 - 柿本人麻呂

もののふの八十うぢ川の網代木に
いさよふ波のゆくへ知らずも

宇治川の網代木に打ち寄せてためらうようにたゆたう波は、どこへ流れてゆくのか、その行方も分からないことだ。

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新古今和歌集 - 在原行平

わが世をば今日か明日かと待つかひの
涙の滝といづれ高けん

自分が世に出る時を、今日か明日かと待つ甲斐もなく流す涙の滝と、この布引の滝と、どちらが高いだろうか。

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新古今和歌集 - 藤原師通

水上の空に見ゆるは白雲の
たつにまがへる布引の滝

水源が空に見えるのは、白雲が立ちのぼるのと見まがう布引の滝であるからだ。

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新古今和歌集 - 藤原有家

久方の天つ乙女が夏衣
雲居にさらす布引の滝

天上の乙女が夏衣を空高くに晒しているかのような、布引の滝であることよ。

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新古今和歌集 - 藤原良経

昔聞く天の河原を尋ね来て
跡なき水を眺むばかりぞ

昔の話に聞く天の河原を訪ねて来て、今は跡形もない水をただ眺めるばかりである。

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新古今和歌集 - 藤原実方

天の川通ふ浮木に言問はん
紅葉の橋は散るや散らずや

天の川に通う浮木に尋ねてみよう。紅葉の橋は散ってしまったのか、まだ散らずにあるのかと。

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新古今和歌集 - 大江匡房

真木の板も苔むすばかりなりにけり
幾世経ぬらん瀬田の長橋

檜の板までも苔が生えるほどになってしまった。いったいどれほどの代を経たのだろうか、瀬田の長橋は。

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新古今和歌集 - 中務

定めなき名には立てれど飛鳥川
はやく渡りし瀬にこそありけれ

定めのない川という評判は立っているけれども、飛鳥川は、昔渡った時と同じ、流れの速い瀬のままであったことだ。

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新古今和歌集 - 慈円

山里にひとり眺めて思ふかな
世に住む人の心強さを

山里でひとり物思いにふけりながら、つくづく思うことだ。つらい世の中に住み続けている人の心の強さを。

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新古今和歌集 - 西行

山里に憂き世厭はん友もがな
悔しく過ぎし昔語らん

この山里に、ともに憂き世を厭う友がいてほしいものだ。悔やまれるように過ぎてしまった昔のことを語り合おう。

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新古今和歌集 - 西行

山里は人来させじと思はねど
訪はるることぞうとくなりゆく

山里では、人を来させまいと思っているわけではないけれども、人に訪ねられることが、しだいに間遠になってゆく。

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新古今和歌集 - 慈円

草の庵を厭ひてもまたいかがせん
露の命のかかる限りは

この草の庵を嫌ったとしても、またどうしようもない。露のようにはかない命が、こうして草に掛かって続いている限りは。

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新古今和歌集 - 行尊

わくらばになどかは人の問はざらん
音無川に住む身なりとも

たまにはどうして人が便りをくれないことがあろうか。たとえ音無川という名の川のほとりに住む身であっても。

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新古今和歌集 - 安法

世を背く山の南の松風に
苔の衣や夜寒なるらん

世を背いて籠った南の山に吹く松風のために、あなたの苔の衣は夜寒で冷たいことだろうか。

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新古今和歌集 - 藤原家隆

いつか我苔の袂に露置きて
知らぬ山路の月を見るべき

いつになったら私は、墨染の苔の袂に露を置いて、見知らぬ山道の月を眺めることができるのだろうか。

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