後撰和歌集 - よみ人しらず
わが家の尾花の上に置いた白露を、消さずに玉として糸に通せるものであったらなあ。
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後撰和歌集 - 紀貫之
牡鹿が来て踏みならす小野の秋萩に置いた白露のように、私もはかなく消えてしまいそうだ。
秋の野の草は糸とも見えないのに、どうして置く白露を、玉として糸に通しているのだろう。
後撰和歌集 - 文屋朝康
白露に風がしきりに吹きつける秋の野は、糸で貫きとめていない玉が散り乱れていることだ。
後撰和歌集 - 壬生忠岑
秋の野に置いた白露を今朝見ると、玉を敷きつめたのかと、はっと驚かされることだ。
置くとすぐに、さまざまな草の色に染まるのに、どうして人は白露とばかり言うのだろう。
白玉が秋の木の葉に宿っていると見えるのは、露が人を欺こうとたくらんでいるのであった。
秋の野に置く白露が消えないものならば、玉として糸に通してでも、掛けて見ように。
唐衣の袖が朽ちるほどに置く露は、わが身を秋の野とでも見ているのだろうか。
大空の下に私の袖ひとつがあるわけでもないのに、悲しいことに、露は私の袖を選び分けて置くのだろうか。
毎朝置く露を袖に受けためて、世がつらい時の涙として借りるのだ。
秋の野の草を分けて行ったわけでもないのに、どうして私の袖は、物思いをするにつれて露に濡れるのだろう。
後撰和歌集 - 清原深養父
幾代を経た後に忘れるだろうか、いや忘れはしない。散ってしまいそうな野辺の秋萩を、磨くように照らす月夜を。
秋の夜の月の光は、木の間から漏れて、落ち葉の衣のように、わが身に映り移ったことだ。
袖に映る月の光は、秋が来るたびに、今夜と変わらない光と見えることだ。
秋の夜の月に重なっている雲が晴れて、その光をはっきりと見る手立てがあればよいのに。