蜻蛉日記 - 藤原道綱
葛城の蜘蛛手はどこにあるのか。八橋の、文を見たと頼みにする甲斐もなく。
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蜻蛉日記
通うはずの道でもない八橋を、踏み見たといって、いったい何を頼みにするのだろう。
どうしてその通う道が難しかろうか。踏み始めた跡を、文を書き始めた跡を、頼みにするので。
尋ねる甲斐もありますまい。大空の雲路には、通った跡形もありますまいから。
大空にも、雲の梯がないのならばこそ、通うはかない嘆きもしましょう。
踏んでみても、雲の梯は危ういと思い知りもせずに、頼みにすることよ。
それでもなお渡ろうという心は頼もしい。葦鶴が雲路を降りて来る、その翼がないわけではあるまい。
片袖を敷いて独り寝しながら年は経ったけれど、狭衣が涙に染みるときは、これまでなかった。
我らの仲は、そばの木も濡れるかと思うほどに、見たとだけの一言にも、そっけない気配が見えることよ。
天雲のかかる山の、遥かな松であるから、そばに濡れる色は、常磐のまま変わらないのだった。
たいそう切に思うこの心を、年の内に春が来るように、晴れるということも知らせたいものだ。
甲斐もなく年が暮れ果ててしまうものならば、春にも逢わない身ともなってしまうだろう。
私でない人を待つ松であるならば、待つとも言わないで、ひどく越さないでおくれ、沖の白波よ。
越しもせず、越さないでもなく、波の寄せる浜は、波をかけられながら年を経ているのです。
いかにも波の心はつれないのでしょう。けれども、年までも越えて待つ松もあったのだった。
千年を経る松もあるというのに、間もなく越えては帰る、その間は遠くないのではありませんか。