古典和歌stream

土佐日記 - 紀貫之

都いでゝ君に逢はむとこしものを
こしかひもなく別れぬるかな

都を出て、あなたに会おうとやって来たのに、来たかいもなく別れてしまうことだなあ。

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土佐日記 - 紀貫之

しろたへの浪路を遠くゆきかひて
我に似べきはたれならなくに

白波の立つ海路をはるばると行き来して、私と同じような身の上になるはずの者は、ほかの誰でもない、あなたなのだ。

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土佐日記 - 紀貫之

都へとおもふもものゝかなしきは
かへらぬ人のあればなりけり

都へ帰ると思うにつけても、なんとなく悲しいのは、一緒に帰らない人がいるからなのだった。

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土佐日記 - 紀貫之

あるものと忘れつゝなほなき人を
いづらと問ふぞ悲しかりける

まだ生きているものと思い込み、亡くなったことを忘れては、やはりもういない子を「どこにいるの」と尋ねてしまうのが悲しいことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

をしと思ふ人やとまるとあし鴨の
うちむれてこそわれはきにけれ

別れを惜しいと思う人がとどまってくれるかと、葦辺の鴨が群れるように、私たちは連れ立ってやって来たのだ。

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土佐日記 - 紀貫之

棹させど底ひもしらぬわたつみの
ふかきこゝろを君に見るかな

棹をさしても底の果てもわからない海のように深い心を、あなたがたに見ることだ。

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土佐日記 - 紀貫之

淺茅生の野邊にしあれば水もなき
池につみつるわかななりけり

ここは浅茅の生える野辺なので、水もない池で摘んだ若菜なのだった。

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土佐日記 - 紀貫之

ゆくさきにたつ白浪の聲よりも
おくれて泣かむわれやまさらむ

行く手に立つ白波の音よりも、あとに残されて泣く私の声のほうがまさるだろうか。

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土佐日記 - 紀貫之

ゆく人もとまるも袖のなみだ川
みぎはのみこそぬれまさりけれ

行く人もとどまる人も、袖を流れる涙の川の、両方の岸辺ばかりがいっそう濡れまさることだ。

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土佐日記 - 紀貫之

てる月のながるゝ見ればあまの川
いづるみなとは海にざりける

照る月が流れて海に沈んでいくのを見ると、天の川の流れ出る河口は海にあったのだなあ。

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土佐日記 - 紀貫之

おもひやる心は海を渡れども
ふみしなければ知らずやあるらむ

思いやる心は海を渡っていくけれども、手紙もなく、踏み渡ることもできないので、あの人たちは私の思いを知らないでいるのだろうか。

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土佐日記 - 紀貫之

見渡せば松のうれごとにすむ鶴は
千代のどちとぞ思ふべらなる

見渡すと、松の梢ごとに住む鶴は、松を千年をともにする仲間と思っているようだ。

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土佐日記 - 紀貫之

まことにて名に聞く所はねならば
飛ぶがごとくにみやこへもがな

本当に、名に聞くこの所が羽であるならば、飛ぶようにして都へ帰りたいものだ。

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土佐日記 - 紀貫之

世の中におもひやれども子を戀ふる
思ひにまさる思ひなきかな

この世の中であれこれ思いをめぐらせてみるけれども、子を恋い慕う思いにまさる思いはないことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

雲もみな浪とぞ見ゆる海士もがな
いづれか海と問ひて知るべく

空の雲もすべて波のように見える。海人がいてくれたらなあ。どちらが海かと尋ねて知ることができるように。

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土佐日記 - 紀貫之

立てばたつゐれば又ゐる吹く風と
浪とは思ふどちにやあるらむ

風が立てば波も立ち、風がおさまれば波もまたおさまる。吹く風と波とは、思い合う仲間どうしなのだろうか。

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