古典和歌stream

土佐日記 - 紀貫之

けふなれど若菜もつまず春日野の
わがこぎわたる浦になければ

今日は子の日だけれど若菜も摘まない。若菜摘みの名所の春日野が、私の漕ぎ渡るこの浦にはないので。

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土佐日記 - 紀貫之

年ごろをすみし所の名にしおへば
きよる浪をもあはれとぞ見る

長年住んでいた所と同じ名を持っているので、寄せてくる波までもしみじみと懐かしく見ることだ。

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土佐日記 - 紀貫之

玉くしげ箱のうらなみたゝぬ日は
海をかゞみとたれか見ざらむ

玉くしげの箱という名の箱の浦に波の立たない日は、海を鏡と誰が見ないだろうか、誰もが鏡と見るだろう。

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土佐日記 - 紀貫之

ひく船の綱手のながき春の日を
よそかいかまでわれはへにけり

引いていく船の綱手が長いように長い春の日を、四十日も五十日も私は過ごしてしまったことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

緖をよりてかひなきものはおちつもる
淚の玉をぬかぬなりけり

糸をより合わせても甲斐のないものは、こぼれ落ちて積もる涙の玉を糸に通せないことなのだった。

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土佐日記 - 紀貫之

よする浪うちも寄せなむわが戀ふる
人わすれ貝おりてひろはむ

寄せる波よ、打ち寄せてほしい。私が恋しく思う人を忘れさせるという忘れ貝を、浜に下りて拾おう。

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土佐日記 - 紀貫之

わすれ貝ひろひしもせじ白玉を
戀ふるをだにもかたみと思はむ

忘れ貝など決して拾うまい。白玉のような亡き子を恋い慕う気持ちだけでも、形見と思おう。

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土佐日記 - 紀貫之

手をひでゝ寒さも知らぬ泉にぞ
汲むとはなしに日ごろ經にける

手を浸して冷たさを知ることもない和泉の泉で、水を汲むわけでもないのに、何日も過ごしてしまったことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

ゆけどなほ行きやられぬはいもがうむ
をつの浦なるきしの松原

進んでも、やはり進みきれないのは、妻が紡ぐ麻の「を」ではないが、小津の浦の岸に続く松原であることだ。

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土佐日記 - 紀貫之

いのりくる風間と思ふをあやなくに
鷗さへだになみと見ゆらむ

祈り続けてきたかいあって風がやんだと思うのに、わけもなく、鷗までもが波のように見えるのはどうしてだろう。

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土佐日記 - 紀貫之

今見てぞ身をば知りぬる住のえの
松よりさきにわれは經にけり

今住吉の松を見て、わが身のほどを思い知った。住の江の長寿の松よりも先に、私は年老いてしまったことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

住の江に船さしよせよわすれ草
しるしありやとつみて行くべく

住の江に船を漕ぎ寄せよ。忘れ草に本当に憂いを忘れる効き目があるかどうか、摘んで行って確かめられるように。

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土佐日記 - 紀貫之

ちはやぶる神のこゝろのあるゝ海に
鏡を入れてかつ見つるかな

神の心が荒れて荒れる海に鏡を投げ入れて、たちまちその神の心を見たことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

いつしかといぶせかりつる難波がた
蘆こぎそけて御船きにけり

いつになったらと、気が晴れずに待ちわびていた難波潟に、蘆を漕ぎ分けて御船がやって来たことだ。

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土佐日記 - 紀貫之

きときては川のほりえの水をあさみ
船も我が身もなづむけふかな

来るには来たけれども、川の堀江の水が浅いので、船も私の身も行き悩む今日であることよ。

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土佐日記 - 紀貫之

とくと思ふ船なやますは我がために
水のこゝろのあさきなりけり

早く着きたいと思う船を悩ませるのは、私に対して水の心が浅いからなのだった。

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