山家集 - 西行
塵ほども疑う心がなくあってほしい。仏法を仰いで頼みにするというのであれば。
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雲雀が飛び立つ荒野に生えている姫百合のように、何に寄りつくということもない心であることよ。
迷いながら過ごしてきた過去の悔しさに、今日は泣く泣くわが身を恨むことだ。
朝日を待つ間は、闇に迷っていたことであろう。もし有明の月の光がなかったならば。
西方浄土への往生を待つ心に、藤の花をかけてこそ、その紫の色から、来迎の紫雲を思うのであろう。
山の端に隠れてゆく月を眺めていると、自分から心が西の方へと入ってゆくことだ。
夢から覚めさせる暁の鐘の響きに合わせて、十たび阿弥陀仏の御名を唱えたことだ。
西へと渡ってゆく月を、自分とは関わりのないものと思うのだろうか。その教えが心に入らない人にとっては。
山川にみなぎって流れる水の音を聞くと、急き立てられるように過ぎてゆく命のことが思い知られる。
むだにはならず、そのまま悟りへと帰ってゆくのであった。人のためにも捨てる命は。
迷い続けてきて、悟りを得られそうにもなかった心、その心を知るのは、心そのものであったのだ。
迷いの闇が晴れて、心の空に澄みわたる月は、西の山辺、すなわち西方浄土に近づいているのであろうか。
入り乱れて散る花の美しさを先に立てて、仏は光を説法の座に敷きつめることだ。
花の香を、説法の座に居並ぶ人々の袖に吹きしみこませて、悟れと言って風が花を散らしているのであった。
懲りもせずに、憂き世の闇のなかに紛れて迷うことだ。わが身のことを思わないのは、ほかならぬ自分の心であったよ。
仏法を知らない人を、今日はつらいものと見ることだ。三つの車に心をかけないのだから。