古典和歌stream

万葉集 - 柿本人麻呂

黄葉の散りゆくなへに玉梓の
使を見れば逢ひし日思ほゆ

紅葉が散ってゆくちょうどその時に、便りを運ぶ使いの者を見ると、妻と逢った日のことが思い出される。

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万葉集 - 柿本人麻呂

去年見てし秋の月夜は照らせれど
相見し妹はいや年離る

去年見た秋の月は今年も同じように照っているけれども、一緒にその月を見た妻は、年ごとにいよいよ遠ざかっていく。

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万葉集 - 柿本人麻呂

衾道を引手の山に妹を置きて
山道を行けば生けりともなし

引手の山に妻を葬り置いて、山道を帰って行くと、生きている心地もしない。

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万葉集 - 柿本人麻呂

去年見てし秋の月夜は渡れども
相見し妹はいや年離る

去年見た秋の月は今年も空を渡っていくけれども、一緒にその月を見た妻は、年ごとにいよいよ遠ざかっていく。

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万葉集 - 柿本人麻呂

衾道を引手の山に妹を置きて
山道思ふに生けるともなし

引手の山に妻を葬り置いて、その山道を思うと、生きている心地もしない。

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万葉集 - 柿本人麻呂

家に来て我が屋を見れば玉床の
外に向きけり妹が木枕

家に帰ってきて寝屋を見ると、寝床の外の方を向いていることよ、妻の木の枕が。

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万葉集 - 柿本人麻呂

楽浪の志賀津の子らが罷り道の
川瀬の道を見れば寂しも

楽浪の志賀津の娘子が、この世を去って行ったその道の、川瀬の道を見ると寂しいことだ。

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万葉集 - 柿本人麻呂

そら数ふ大津の子が逢ひし日に
おほに見しかば今ぞ悔しき

大津の娘子に出会った日に、ぼんやりと見過ごしてしまったので、今となっては悔しいことだ。

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万葉集 - 柿本人麻呂

妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山
野の上のうはぎ過ぎにけらずや

妻がそばにいたなら、摘んで食べさせただろうに。沙弥の山の野辺のよめなは、もう盛りを過ぎてしまっているではないか。

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万葉集 - 柿本人麻呂

沖つ波来寄る荒礒を敷栲の
枕とまきて寝せる君かも

沖の波が打ち寄せる荒磯を枕にして、寝ていらっしゃるあなたであることよ。

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万葉集 - 柿本人麻呂

鴨山の岩根しまける我れをかも
知らにと妹が待ちつつあるらむ

鴨山の岩を枕にして横たわっている私のことを知らずに、妻は今も私の帰りを待ち続けていることだろうか。

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万葉集 - 依羅娘子

今日今日と我が待つ君は石川の
峡に交りてありといはずやも

今日か今日かと私が帰りを待っているあなたは、石川の谷あいに交じって眠っているというではないか。

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万葉集 - 依羅娘子

直の逢ひは逢ひかつましじ石川に
雲立ち渡れ見つつ偲はむ

じかにお逢いすることは、もうできないだろう。石川に雲よ立ちこめてくれ。それを見ながらあなたをしのぼう。

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万葉集 - 丹比真人

荒波に寄り来る玉を枕に置き
我れここにありと誰れか告げなむ

荒波に打ち寄せられてくる玉を枕元に置いて、私がここにいると、誰が妻に告げてくれるだろうか。

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万葉集

天離る鄙の荒野に君を置きて
思ひつつあれば生けるともなし

都から遠く離れた田舎の荒野にあなたを置いたまま、思い続けていると、生きている心地もしない。

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万葉集 - 河辺宮人

妹が名は千代に流れむ姫島の
小松がうれに蘿生すまでに

この娘子の名は千代までも語り伝えられるだろう。姫島の小松の梢に苔が生えるまでも。

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