山家集 - 西行
水がないと聞いて久しく古びてしまった勝間田の池を、すっかり改めて水で満たしてしまう五月雨の頃であることよ。
詳細を見る
五月雨の頃は、行くべき道の見当もつかない。小笹の生える原までも、泥の湿地となって水に流されて。
五月雨の頃は、山あいの田の畦から落ちる水が、いくつもの滝枕となって、段々に重なり合って落ちていることよ。
川辺の淀みに流れついて止まった流木が、まるで浮橋を渡したようになっている五月雨の頃であることよ。
思いがけず、ああ、なんとも釣りにくくなった小川であることよ。五月の雨で水かさがどんどん増していって。
花も咲いていない我が家では、涼しい風ばかりを待ちに待って、隣の泉から流れてくる末の水を、またすくって涼をとることよ。
流れる水の音に暑さも忘れてしまう、楽しい集まりであることよ。梢で鳴く蝉の声も水音に紛れてしまって。
杣人が日暮れに宿を借りようと戸を叩くような気がしたが、庵を叩いていたのは水鶏であった。
夏山の夕暮れに木の下を吹く風の涼しさに、楢の木陰から立ち去るのがつらく感じられることよ。
草をかき分けて折り取ると、露がこぼれ落ちたことよ。浅茅に交じって咲く撫子の花は。
雨の露が重いので、庭の撫子はどうなっているだろうか。荒々しく見えた夕立の空であったことよ。
馬の飼い葉にしようと野原の小薄を刈り取るので、寝床が荒れてしまったと、鹿は思っていることだろう。
旅人が分けて進む夏の野は草が深く茂っているので、旅人のかぶる菅の小笠だけが、草の葉先からはずれてのぞいて見える。
雲雀が舞い上がる広い野の茅原も、夏が来ると草が茂り、涼むための木陰を探し求めて進んで行くことだ。
照射の火串に挿した松明を取り替えもしないうちに、鹿と目を合わせることもないまま明けてしまう、夏の短い夜であることよ。
夏の夜は、篠竹の節と節の間が短いように、そうよ、ほどもなくすぐに明けてしまうのだなあ。