山家集 - 西行
月が宿っている、同じ波の上の浮き寝の、つらい寝覚めでさえ、涙に袖を濡らすはずの宿縁があったことだ。
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都にいて月をしみじみとあわれだと思っていたのは、物の数にも入らない、ほんの慰みごとであったのだ。
沖をめざして幾重にも重なる潮路を行く船の上では、いつもとはまったく別の所で、初雁の声を聞いたことだ。
横にたなびく雲が風に吹かれて山から離れていく明け方に、山を飛び越えていく初雁の声が聞こえる。
黒い烏の羽に書いた手紙のように、文字の見分けにくい心地がして、雁が鳴きながら渡っていく夕闇の空である。
白雲を翼に掛けるように空高く飛んでいく雁が、門前の田の面に降りている仲間を慕って鳴いているようだ。
手紙の文字のように連なって飛ぶ雁の列は霧に隠れて見えないが、雁の声だけは霧にかき消されなかったことだ。
空の色をしたこちら側を裏地として立ちこめる霧の、その表に、雁が列を掛けて記している手紙であるよ。
鶉の鳴く季節になったので、霧が一面に立ちこめて、しみじみと寂しい深草の里であるよ。
名残の尽きない親しい語らいもとうとう終わって、帰っていく人を、霧までもが立ちこめて隔ててしまったことだ。
一面に立ちこめる霧の下にも埋もれてしまって、心が晴れることのない深山のほとりの里である。
まだ夜の深いうちから、竹で編んだ戸に立ちこめている霧が、晴れたならば、そのまま夜が明けようとするのだろうか。
枝垂れて咲く萩の古い枝に風が吹きかかると、それに続いて次々に、牡鹿が鳴いているようだ。
萩の枝の露をとどめることなく吹き散らす秋風の中に、牡鹿の鳴く声が聞こえる、宮城野の原では。
一晩じゅう、妻を恋しく思う心に堪えかねて鳴く鹿の涙が、野辺の露となっているのだろうか。
そうでなくてさえ、秋はただもの悲しいばかりなのに、さらに涙を誘う牡鹿の声であるよ。